п»ї ふるさとの景色の先に広がる大きな世界 So far so good(6完) 『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第15回 | ニュース屋台村

ふるさとの景色の先に広がる大きな世界
So far so good(6完)
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第15回

3月 27日 2024年 社会

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元記者M(もときしゃ・エム)

元新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は3年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

日中の存在感の差拡大

1999年にバンコク特派員としてタイに赴任した。タイは当時、 シンガポールとともにASEAN(東南アジア諸国連合)の中核をなす国で、学生時代にボランティアとして働いて以来、私にとっては憧れの地だった。記者になろうと決めた時点で将来、バンコク特派員になることをめざしていたが、ようやくその夢がかなった。

バンコクは東南アジア地域の取材拠点と位置づけられ、ASEAN域内にある各支局を統括していたので、ASEAN加盟10か国のほかインドや中国も取材で訪れた2007年までのバンコク勤務時代を総括すると、東南アジア地域で中国の影響力がますます強まっているということと、それとは逆に、日本の経済力や外交力の低下がより顕著になり、影響力が弱まっていることを実感した。

中国の強さを象徴するような人物の1人として、外務大臣で中国外交を統括している国務委員の王毅氏を挙げよう。彼が外務次官当時にASEANの関連会議で何度か取材したことがある。意外に長身でイケメン。日本語も英語も極めて堪能である。だからと言って気安く質問しようものなら、公式の会見の場では立て板に水で、毅然とした態度で中国の従来の立場を繰り返し、非公式の場でも、ほほ笑みながらさらりとかわす。知日派だが親日派とは言えず、かなりの切れ者という印象で、残念ながらいまの日本に、王毅氏と対等に渡り合えるような政治家は見当たらない。

◆「日本はアジアのリーダー」遠い過去

一方、日本はかつて「アジアのリーダー」という地位を自他ともに認めていた。しかし、それはせいぜい1980年代までだ。90年代に入ってからは日本の財政難からODA(政府開発援助)が先細り、つれて外交力も弱まり、私たちが考えているほど、東南アジア地域でいま日本の影響力は強くはない。日本の政治家の中には「これまであれほど援助してやったのに」と恩着せがましく言う人もいるし、日本がいまだにアジアのリーダーだと思っている人がいるが、時代錯誤もはなはだしく、現状認識を誤っている。

電気自動車(EV)の開発では中国から大きく引き離され、もはや太刀打ちできなくなったと白旗を揚げる業界関係者もいる。半導体の開発競争でも大いに後れを取っている。こうした経済力の劣化に加え、円安もあって、日本の価値そのものが低下している。

「ニュース屋台村」の執筆陣による意見交換会でも、日本の経済力と外交力の低下と劣化がしばしば話題に上る。結局のところ、過去の栄光とか成功体験の上にあぐらをかいたまま、世界的な潮目の変化に気づかず、あれよあれよという間にその流れに乗り遅れてしまったことが原因ではないか、ということで、先行きについても悲観的な見方が支配的だ。

◆首脳外交と記者会見の舞台裏

私は2007年までのバンコクに駐在中、ASEAN域内で毎年開かれる外相会議と首脳会議はすべて取材した。ASEANに日本、中国、韓国の3か国を加えた「ASEAN+3」という首脳会議の枠組みがあり、それも取材した。取材した歴代の総理大臣は橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎の4氏。このうち小渕氏は当時のタイのチュアン首相と仲が良くて、タイ首相府のチュアン氏の執務室の机の上には小渕氏自らが描いたチュアン氏の似顔絵が飾られていた。小渕氏が2000年に62歳で急死した時には、チュアン氏は在タイ日本大使館が弔問の受付を開始すると同時に真っ先に訪れ、弔意を表した。

一方、岸田文雄首相の公式サイトを見ると、外務大臣だった2014年から2017年までの1682日間に、のべ93か国・地域を訪問し、総飛行距離は地球を約28周と半分で、外国要人と837回会談したとある。しかし私が知る限り、ASEAN域内の特定の国の特定の首脳と仲が良いという話は聞いたことがない。

これまでの取材経験から、国同士の良好な関係の源は、外交官であれ政治家であれ、そのスタートはとても原始的だが、個人的に親密な関係の上に成り立っていると考えている。

ここで、日本の首相が外国を訪問する際の取材方法について説明しよう。

政治部の官邸詰めの記者が政府専用機に乗って首相に同行する。政府専用機の運賃はタダではない。民間航空会社のエコノミークラス相当の普通航空運賃に一定の割引率をかけて請求されている。

日本の首相がASEAN加盟国を訪問する場合、特派員も現地で合流して首脳会談や会談後の記者会見を取材するが、記事を書くのは日本から同行している政治部の記者である。同行記者は外務省から事前に説明を受け、それを元に記事をまとめるので、日本政府の立場が色濃く反映され、どの新聞を読んでも同じような内容になりがちである。

一方、外国訪問先での首脳会談後の首相の内外記者会見というのも、「くせ者」である。NHKを通じて日本で生中継される場合、日本時間で15分刻みの定時に合わせて会見がセットされ、質問の順番と内容は官邸記者クラブの幹事社2社と官邸サイドで事前に調整して決めている。

会見では首相が冒頭、役人が書いた訪問の成果を棒読みに近い形でとうとうと読み上げる。これで会見時間のほぼ半分はつぶれてしまう。この後に質疑応答に入るが、事前のシナリオ通り、まず幹事社1社が訪問の成果を、もう一つの幹事社が焦点になっている国内の問題を質問。そして訪問国の有力メディアが両国関係などについて尋ねるのが通例である。

これで質問は合わせて三つ。首相はいずれも、役人が作った想定問答集に基づいて答える。そして、司会の官邸の役人が、手を挙げている記者に対し「では、最後にあと1問だけ」と言う場合もあるが、たいがいはここで「総理は次の予定がございます。ちょうど時間となりました」と打ち切りになる。これが、外国訪問先での首相の内外記者会見の舞台裏である。会見は事前のシナリオ通りに進み、中身のない、つまらない内容になってしまうのだ。

◆子ども向け新聞発行ラッシュ

2009年に朝日学生新聞に移り、2023年に定年退職するまで、朝日小学生新聞と朝日中高生新聞の副編集長や紙面審査委員を務めた。

世の中は「少子化」が進んでいるが、これにつれて中学受験や高校受験などの進学熱は高まる一方である。わが子に将来いい仕事に就いてほしいと、保護者の人たちはいい中学、いい高校、いい大学に入れようと、保育園や幼稚園の時からいろんな習い事をさせている。私が担当していた子ども向けの新聞はそうした時代の潮流に乗ったところもあって、最近では全国紙ばかりではなく、地方紙も子ども向けの新聞や紙面をこぞって作成している。

どの新聞社もいま新聞を購読する人が減っているので経営が大変で、夕刊をやめる地方紙が増えているが、将来の読者の開拓というビジネス戦略もあって、子ども向けの新聞作成に力を入れている。

「子どもの将来なりたい職業ランキング」の特集では、スポーツ選手や教員、漫画家・イラストレーターなどが人気上位の常連だが、最近はゲームクリエーターやパティシエ、IT関係、ユーチューバーなども上位に食い込んでいる。

わが子に子ども向けの新聞を読ませている家庭は比較的裕福な家が多いが、都市部の裕福な家庭の子どもほど有利な教育環境に接しやすいというのは当たり前のようで、どこか矛盾を感じてきた。

私は、読者からの投書はできるだけ地方の子どもたちのものを採用するように言ってきた。地方に住んでいるからチャンスがないと後ろ向きに考える人がいるが、決してそうではない。高い志と強い決意をもって努力を続ければ、夢は必ずかなうと信じている。

◆将来が見通せない時代どう生きるか

 翻って、今の世の中を見ると、将来がなかなか見通せない時代になってきた。娘や息子に「5年先、10年先を考えながら生きなさい」と言って教育してきたが、4歳と3歳、そして1歳の3人の孫の男の子については、彼らが成人した時に世の中はいったいどんな時代になっているのか、まったく見通しがつかない。景気がよかった会社が突然倒産したり、名前も聞いたことがない会社が世界的な大企業に成長したりと、予測ができなくなってしまったのだ。

現状を考えると残念ながら、今の日本は政治経済・外交とも内向きの時代にある。海外に目を向けると、ウクライナ戦争やイスラエル・パレスチナ紛争など、国際情勢はさらに混沌(こんとん)としている。国際社会の中で日本の信認力はさび付いており、岸田政権はいよいよレームダック化。岸田首相が強調するほど世界の中で日本の発言力は強くはないし、日本の存在感は薄くなる一方だ。

そんな時代に私たちはいま、どう生きていくのか。世の中や世界の動きをおおまかでいいので把握しつつ、とても些細なことだが、まずは自分の身は自分で守る、健康な心身を保つということが、その出発点ではないかと思う。

私は2023年から、「4か国回遊生活」を始めた。学生時代と特派員時代に過ごしたタイ、妻の生まれ故郷ラオス、妻の一族が住むオーストラリア、そして私が生まれ育った日本の4か国を、それぞれ一番いい季節に回りながら生活するというもので、定年退職する前からの長年の夢だった。

23年は手始めに、息子が現在タイに駐在しているので、タイとラオスを1か月かけて回った。日本国内では北海道と東日本大震災の被災地を回った。そして、回遊生活には意外に体力が必要であることを痛感した。

本稿を執筆している現在(24年3月)はオーストラリア・シドニーの妻の実家に滞在していて、日本を3か月ほど離れる予定だ。日本を発つ前に静岡県熱海や自宅近くで河津桜は楽しめたが、今年はソメイヨシノを見ることはできない。ただ、日本以外の3か国に自力で無理なく行けるのは年齢的におそらく80歳くらいまでだろうから、その間はソメイヨシノより回遊生活を優先したいと考えている。

振り返ってみて、だれにも負けないほどの山奥で生まれ育ったことがその後の人生の大きなバネとなり、田舎者を自認する私の好奇心を一段と膨らませることになった。海外駐在中も日本が恋しいと思ったことは一度もない。

これまでの人生で数多くの人に出会い、そこには大切な学びがあった。同時に、世界の広さを身をもって感じ、これからも「等身大の目線」で積極的に異文化と多様性を吸収しながら、残りの人生をさらに豊かなものにしたいと念じている。(了)

※『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』過去の関連記事は以下の通り

第10回「ふるさとの景色の先に広がる大きな世界―So far so good(1)」(2024年2月 21日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-12/#more-14559

第11回「ふるさとの景色の先に広がる大きな世界―So far so good(2)」(2024年2月 28日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-13/#more-14630

第12回「ふるさとの景色の先に広がる大きな世界―So far so good(3)」(2024年3月 6日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-14/#more-14639

第13回「ふるさとの景色の先に広がる大きな世界―So far so good(4)」(2024年3月13日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-15/#more-14648

第14回「ふるさとの景色の先に広がる大きな世界―So far so good(5)」(2024年3月20日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-16/#more-14663

※『記者Mの外交ななめ読み』過去の関連記事は以下の通り

第2回「知日派を生かせない日本のさみしい外交センス」(2013年8月 23日付)

https://www.newsyataimura.com/?p=442#more-442

第6回「首相内外記者会見の舞台裏」(2013年11月 22日付)

https://www.newsyataimura.com/?p=989#more-989

第7回「タクシンとフジモリ」(2014年2月7日付)

https://www.newsyataimura.com/?p=1636#more-1636

第8回「日本は『夢と希望の国』か」(2014年3月7日付)

https://www.newsyataimura.com/?p=1800#more-1800

第12回「難民に不人気な日本にいまできること」(2015年10月23日付)

https://www.newsyataimura.com/?p=4792#more-4792

第13回「ASEANの舞台で歴然とした日中の外交力の差」(2016年7月29日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-9/#more-5741

※『読まずに死ねるかこの1冊』過去の関連記事は以下の通り

第7回「異文化を受容する優しいまなざし」(2013年12月13日)

https://www.newsyataimura.com/kisham-17/#more-1073

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