元記者M(もときしゃ・エム)
元新聞記者。「ニュース屋台村」編集長。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は5年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。
◆不覚、突然の激しい嘔吐
ヤバい! どうにも眠れなくて何度も寝返りを打っていたら、いきなりみぞおちあたりから突き上げるような圧力があった。冬のシドニーでは毛布の上にふとんをかけて寝てちょうどいいあんばいなのだが、この日の未明は額に少し汗をかいていた。
口の中に徐々にネバネバ感が広がってきた。ムカムカしてきた。吐きそう! 口元を抑えて急いでトイレに駆け込み、便器の中に顔を入れる格好で突っ伏した。その直後、胃袋が裏返しになったような激しい嘔吐(おうと)。間一髪。なんとか間に合った。そして、胃の辺りがキリキリ絞られるように繰り返しこみ上げてきて、何度も吐き続けた。
思い当たるふしはいくつかあった。まず、風邪の可能性。前日は通勤客に混じってバスでハーバーブリッジを渡り、スピットブリッジの手前で下車して歩いた。雲一つない群青色の青空が広がり、遠浅の海は日差しを受けて砂が白く映り、ヨットが浮かんでいるさまは足を止めて見とれてしまうような美しさだった。
この日のウォーキングは、歩くというより景色をゆっくり楽しむほうに傾き、当初はタロンガ動物園までの約14キロを歩く予定だったが、途中にある、ちょうど出島のような形をしたロッキーポイント島に渡った後、バルモラルビーチの海水プールで写真を撮っていたところで気が変わった。ちょうどそばにバス停があったのでバスに乗ってタロンガ動物園まで行き、そこからフェリーに乗り継いでシティに戻ってきた。
この日見た景色がいつにも増してきれいだったことや、日差しが強く風もなかったので、フェリーの一番前のベンチでウインドブレーカーを脱いで海風に当たり、そのままフェリーを下りた。思い返してみると、明らかに油断していた。この時点で、風邪を引いたのかもしれなかった。
次に、食あたりか食べ過ぎの可能性も考えた。帰宅後、料理が上手な義妹が作ってくれたソムタム(青いパパイヤのサラダ)とガイヤーン(鶏肉のあぶり焼き)を食べ、デザートのメロンとソムオー(ザボンの仲間)をおなかがいっぱいになるまで口に運んだ。ひょっとしたら、食べ過ぎがよくなかったのかもしれない。思い当たるふしの2つ目は、食あたりか食べ過ぎだった。ただ、この日の夕飯はみんな同じものを食べていたのに、吐いたのは私だけだった。
激しい嘔吐は未明に2回。もう勘弁してほしい、と思いつつ朝起きたら体調が意外によかったので、朝ごはんにカフェラテとヨーグルト、ブルーベリー、バナナを食べたら、忌々(いまいま)しくも吐き気がまた戻ってきて、トイレに駆け込んだ。間に合ったが結局、激しい嘔吐は計3回続いた。
日本では、風邪を引いても鼻水程度。軽い片頭痛で常備薬を飲めばすぐによくなった。吐くなんて、もう記憶にないほど、ずっと大昔のことだ。胃の辺りから次第にこみ上げてくるあのムカムカ感はなんともたまらず、いったん吐き始めたらコントロール不能で容赦(ようしゃ)なくこみ上げてくる。胃の中がすっかり空っぽになるまで吐くしかない。そこに至る体力の消耗(しょうもう)といったら、もう半端ない。
私にこうした症状が出る3日前、義妹にも同じ症状があった。出先から戻ってきて、2階の自室に上がろうとしたら階段の踊り場で突然吐き気が襲いかかり、結局トイレに行き着くまで間に合わなかった。
妻は私がほぼ回復した翌々日に同じ症状に陥った。友だち夫婦とバルモラルビーチに行き、そこでフィッシュアンドチップスと、焼いたラム肉と生野菜をピタという平たいパンで包んで食べるギリシャ料理スブラキピタを食べた。夜中に突然ベッドから起き上がったと思ったら、トイレからえずくような声が上がり、激しく嘔吐する音が聞こえてきた。この日は僕も同じ物を口にしていたので、食あたりは原因として考えにくい。
義妹も妻も間違いなく、僕と同じ症状で、当初は風邪の初期段階の症状の一つだと考えていた。
しかし、風邪や胃の薬を飲んだり、体力を付けようとおかゆを食べたりしても、吐き気が戻ってきて、ただただ吐くばかり。聞くと、周りにも大勢ほぼ同じような、突然の嘔吐を主とする症状が出た人が多いという。
◆病気の正体
いろいろ調べてみると、オーストラリアで冬のこの時期に非常によく見られる「短時間型ウイルス性胃腸炎」だとわかった。冬の豪州は空気が乾燥していて、ウイルスが環境中で生き残りやすいのだそうだ。
主な症状は、嘔吐が中心▽下痢が少ない▽発熱がほぼない▽四肢の関節の痛みは軽い▽胃の上部だけが刺激される▽体がウイルスを排出すると急速に回復する――という特徴があり、症状が半日〜1日で終わるケースが大半のため「短時間型」と呼ばれる。私は病気の正体がわかったことで、不思議と安心した。
この「短時間型ウイルス性胃腸炎」の場合、体がウイルスを排出したら急速に回復する。嘔吐でウイルスを外に出す→胃腸の刺激が一気に減る→その後は急速に回復する→下痢がないため長引かない、というサイクルで、「吐いたら終わる」という経過をたどる。
だから、体力を付けるために無理してでも食べようとすると、このサイクルの大前提の否定することになり、かえって症状を長引かせてしまう。結局、薬を飲んでも効果はまったくと言っていいほどなく、「体がほしがるまでは食べない、飲まない」「胃の中を空っぽにする」というのが、原始的ながら最も効果的な対処法だという。そういえば、母が生前、私が年越しそばを食べ過ぎて吐いた時に「おなかを干さないと治らへんで」と言っていたが、このことだったかと改めて気がついた。
ただし、短時間で回復したからといって、嘔吐が続いたり水分を受け付けず脱水の心配があったりする場合は医者に診てもらうのが安心だ。幸い、私たちは今回、そこまで深刻な症状ではなかった。
また、ウイルスは変異しやすいので、一度かかったからと言って免疫ができても、完全ではない。ウイルス性胃腸炎の免疫は、インフルエンザや麻疹(ましん)のような強い免疫ではなく、時間が経つと免疫が弱まり、再感染したり別のウイルスにかかったりすることがあるという。
詰まるところ、これまで通り、電車やバス、フェリーの中、そして雑踏の中を歩く時は、マスクをするというのが最大の防衛策になりそうだ。
◆土産用の日本食に手を出す
そして、少量の白湯を口にしつつ静養し、「体がほしがる」タイミングに至ったと自覚するまで胃の中がすっかり空っぽになった時、何を一番食べたいと思ったか――。意外にも、生まれも育ちも違う妻と私の答えが同じだった。
そうめん。私たちはシドニーに来るとき毎回、大量の日本食材を土産として買い込んでくるが、今年はそうめんとめんつゆを持参していた。タイやラオスにもカノムチン、カオプンといったそうめん状の柔らかい米麺を使った料理があるが、魚入りココナッツ系カレースープやグリーンカレー、野菜やハープをたっぷり添えた汁をかけたりしたもので、病み上がりのすっかり弱り切った胃には少々ヘビーで、受け付けようとはしない。
その点、日本のそうめんはさっとゆでて冷たい水にさらし、水で薄めためんつゆに刻んだネギとチューブしょうがを入れ、それにつけて食べる、簡単でシンプルな夏の定番料理。妹たちは日本のような食べ方をしたことがなく、そうめんもめんつゆも手つかずのまま食堂の棚の中に置かれていた。
まさか、冬のシドニーで土産用に買ってきたそうめんを食べたいと思うなんて、とほんの一瞬後ろめたいような戸惑いがあった。が、私は再生し始めた食欲からの「そうめんが食べたい」という訴えを抑えることができず、揖保乃糸(いぼのいと)を2束ゆでて速攻、食べ終えた。
いやぁ、それはそれはおいしかったこと! あとで妻に聞いたら、「こんな時はやっぱり、日本のそうめんが一番だね」。土産として持参したはずの日本食が私たちの胃袋をやさしく癒やしてくれたのだった。
◆「ベッドに横たわる老女」
7月最後の金曜日、オペラハウスの周りをぐるっと1周した後、そばに広がる王立植物園を通り抜けて、その背後にあるニューサウスウェールズ(NSW)州立美術館の本館(南館)を訪れた。この日はここで日本語ガイドツアーがあると、シドニー日本総領事館から案内のメールが届いていたので参加したのだった。
南館は歴史ある作品が中心で、絵画や彫刻を静かに鑑賞でき、オーストラリア美術や欧州美術が見やすい展示となっている。私はとくに美術が好きというわけではないが、歴史ある作品が無料で鑑賞できるとあって毎年滞在時に少なくとも3、4度は足を運んでいる。
NSW州立美術館の外国語ガイドツアーは、日本語・中国語・韓国語の3言語で、日本語ツアーの場合は毎週金曜に南館で、日曜に北館でそれぞれ行われている。
この日のガイドは松田のぶ子さんで、参加者は私を含め計4人、そのうち男は私1人だった。午前11時にスタートしたツアーは約1時間後に終わったが、この日私たちより30分遅れてスタートした韓国語ガイドツアーの参加者は40人近くもいて、ちょっとびっくりした。
松田さんは、調べてみると、同美術館で長年日本語ボランティアガイドを務めているベテランで、日本美術だけでなく、オーストラリア美術やアボリジナル・アートにも精通しており、その背景や文化まで含めて詳しく解説してくれた。極めて少人数のツアーだったので、私は美術館備え付けの鉛筆で松田さんの解説をなるべく正確にメモするように努めた。これは、ツアーの終了後に改めて1人でこの日回った美術品の前に立って復習する際にとても役立った。
ツアーが終わる間際に、松田さんから「きょうとくに印象に残った作品はありますか」と尋ねられた。女性3人はスラスラと答えたが、私の番になって答えに窮(きゅう)しそうになった時、思わず口をついて出たのが、最初に見た作品だった。
「ベッドに横たわる老女(Old woman in bed)」と題された彫刻である。豪州を代表する現代彫刻家ロン・ミュエックの代表作の一つとされ、これを初めて見た時、「本物の人が寝ているのでは」と思わず立ち止まってしまった。シリコンやグラスファイバー、人工毛髪などでできた彫刻で、もちろん生身の人間ではないが、皮膚の血色や血管、唇の乾き、まぶたの重みまで、驚くほど精密に再現した写実表現が特徴である。
老女は実際よりもずっと小さく、身長にすれば赤ちゃんほどしかない。老いによって衰えた身体や人間の弱さ、最期が近づいているかもしれない命をいっそう強く感じさせる。
「老い」「介護」「孤独」「家族との別れ」「人間の尊厳」――。そうした普遍的なテーマが、静かな空気の中でじわじわと胸に迫ってくる。私は、生まれたばかりの赤ちゃんがベッドの中でそのままゆっくりと年を取り、やがて静かに死んでゆくさまを想像した。ほんの一瞬だが、コロナ禍の真っただ中で面会すらなかなかかなわず、最期を看取ることができなかった母の姿を思い浮かべた。
ミュエックの展覧会は今年4月29日から9月23日まで、東京・六本木ヒルズ森タワーの森美術館で展覧会「Ron Mueck(ロン・ミュエック)」として開かれている。2023年のパリ、23~24年のミラノ、25年のソウルを巡回した国際展で、日本では唯一の開催。代表作約20点に加え、制作過程を紹介する映像も流されている。
◆キャプテン・クック像
長崎に原爆が投下されて81年となる8月9日、私はNSW州立美術館の北館(新館)を訪ねた。北館は大型作品や映像作品のほか、先住民美術や体験型展示が目立ち、現代美術の色彩が濃い。
段状のテラスには草間彌生が同美術館からの要請で制作した巨大な花の彫刻が設置されており、美術館の外からもかなり目を引く。私はかつて、ここで村上隆の巨大な収蔵作品も見たことがある。
この日は7月末の南館(本館)での日本語ガイドツアーに続いて、北館での日本語ガイドツアーに参加するのが目的だった。ガイドはファーズ・みどりさんで、ツアー参加者は私を含めて計16人。うち14人は夏休みを利用してやってきた家族連れだった。
みどりさんは、調べてみると、ご自身がアーティストで、墨絵や版画を制作するほか、折り紙と空間を組み合わせたインスタレーション(空間全体を使って「体験」を生み出す表現手法)も手がけている。私は南館でのガイドツアーの時と同様、ガイドの説明をメモしながら付いて回ったが、参加者が16人というのはかなりの盛況だったようで、聴き取りにくいところもあった。
午後1時に始まったツアーは1時間ほどで終了したが、参加者が多かったこともあり、「印象に残った作品」を聞かれることはなかった。が、前々から何度も見ていて、とくに改めて考えることなく通り過ぎていながら、みどりさんのこの日の解説で「なるほど」と思わせる作品があった。
ステンレススチール製の英国の探検家キャプテン・クック(1728~79年)の像である。クックはオーストラリアでは長く、「ヨーロッパ人によるオーストラリア発見」の象徴的な英雄として扱われてきた。しかし現在は、先住民の土地にヨーロッパ人が到来した歴史をどう捉えるかという、非常に複雑で議論の多い存在でもある。
北館のクックは、長いコートをまとい、ポニーテールの髪をした姿。普通の記念碑のように台座の上に堂々と立っているのではなく、彫刻家の作業台の上に腰掛けるような格好で、足が床から浮いている。
一番興味を引くのは、クックの身体の全体が丁寧に磨き上げられた「鏡」になっていて、近づくと鑑賞している私自身もクックの体に映り込む。設置場所からはシドニー湾が見える。作品を正面だけでなく横や斜めから見てみると、クックの身体に、クックが1770年に航海したシドニー湾、鑑賞者の私、他の来館者、建物などが一つの作品の中に映り込むという仕掛けである。
作者のマイケル・パレコワイはニュージーランドのマオリ系現代美術家。「英雄クックを称える記念像」として制作したのではなく、「クックを、そして植民地化の歴史を、私たちはいまどう見るのか?」という問いを突きつけているのだという。
私はこの日のツアー終了後、歩いて王立植物園を抜けて、オペラハウスの前を通ってサーキュラーキー駅に出るつもりだった。が、クック像の問いかけが徐々に気になり始め、南館の正面入り口のそばのベンチに腰掛けてしばらく考えていた。すると、次第に頭が重くなって再び歩いて帰る気力がすっかり失せてしまった。辺りが暗くなり、冷たい風とともに小雨が降ってきた。この日は結局、答えが見つからないまま、シティのクイーン・ビクトリア・ビルディング(QVB)前までバスで戻ったのだった。











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