再帰的自己改善
『おいしいデータの家庭料理』第20回

10月 05日 2026年 文化, 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

株式会社ふぇの代表取締役社長。独自に考案した個体差の機械学習法、フェノラーニング®のビジネス展開を、栃木県那須町で模索中。元Pfizer Global R&D, Clinical Technologies、 Director。株式会社ダイセルと株式会社クレハの研究開発部門勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。趣味は農作業。

◎再帰的自己改善

筆者が「ニュース屋台村」に拙(つたな)い原稿を書くようになったのは、知人のアーティストへの追悼文がきっかけだった(※参考1:『データを耕す』2017年1月31日~2017年7月13日、https://www.newsyataimura.com/tag/データを耕す)。ミニマルアートから出発した中里斉(なかざと・ひとし、1936~2010年)は、近代哲学の大天才、ゴットフリート・ライプニッツ(1646~1716年)の「モナドロジー」を、版画で再解釈しようとしていた。筆者としては、中里さんへの宿題のつもりで読んだ、バールーフ・デ・スピノザ(1632~77年)に打ちのめされ、ライプニッツは、隠れスピノザ主義者として晩年を過ごした、という仮説に取りつかれた。

スピノザは、ありえた別の近代を見ぬいていたのだろう。スピノザとライプニッツは、ともにデカルト哲学を研究し、批判していた。デカルト、スピノザ、ライプニッツが、近代合理主義哲学を確立して、ヨーロッパの中世から近代への歴史を主導したという、教科書的な歴史観は、ありえた別の近代を無視すれば、多分正しいのだろう。筆者は、ありえた別の近代こそ、近代を根底から乗り越える、未来への一里塚だと考えるようになった。人間中心で、陳腐な言説に束縛された近代から脱却して、可能性のすべてに開かれた、本当の未来は、データとともにやってくるはずだ。

そして現在まで、たくさんの友人を見送り、追悼文は続いている。たぶん、自分自身の追悼文を書くまで、データ論を探求し続けるのだろう。

データ論にとって、AI(人工知能)は追い風であり、向かい風でもある、乱気流だ。AI脅威論は、コード生成AIが、自分自身のコード、および、自分自身の分身であるエージェントのコードを作成する、再帰的自己改善(RSI=Recursive Self-Improvement)によって、現実のものとなった。様々な得意分野で、サーバーやパソコンのソフトウェアを、AIが操作するのがAIエージェントだ。「私はロボットではありません」といった、ほぼすべてのセキュリティーチェックを、容易に乗り越えてしまう。再帰的自己改善は、ハッカーが、ハッカーを教育するよりも、はるかに効率が良くて、質(たち)が悪い。

しかし、再帰的自己改善は、AIがAGI(汎用〈はんよう〉人工知能)やASI(人工超知能)を実現するための根源的な技術だ。AIシステムのように複雑なプログラムは、コード生成AIを使ってプログラムを作成・検証する必要がある。オートポイエーシス(Autopoiesis=システムが自分自身を構成する要素を自ら生み出し、維持し続ける自己生成のプロセス)という、身体や知能の本質に、直接関連するする技術でもある。

筆者は、AIの安全性の問題に加えて、AIの社会性が重要だと考えている。AI自身が、分身を作り、再帰的自己改善を実行していても、AI自身には、社会性がない、社会を理解するモデルが実装されていないのだ。オートポイエーシスが社会を理解するモデルであったとしても(※参考2:『自己言及性について』〈ニクラス・ルーマン、ちくま学芸文庫、2016年〉)、AIの再帰的自己改善よりも早く、AIの社会性を予測するAIを創(つく)ることはできそうにない。ウイルスの進化を、現在のスーパーコンピューターでは予測することができないのと、似た事情だろう。

これは原理的な問題なので、量子コンピューターなどの、別の計算原理が実現されるまでは、AIの開発スピードを遅くしても、AIの社会性の問題は、たぶん解決しない。

筆者としては、オートポイエーシスが社会を理解する、唯一のモデルではないと考えている。オートポイエーシスは、IPS細胞が発見されて、多細胞生物の発生と分化が、実験的に明らかになる以前の、細胞生物学からの発想だ。実験されることがない、形而上(けいじじょう)学のような、概念モデルであって、デジタル化したデータのためのモデルではないからだ。量子コンピューターの発展を待たなくても、近代社会とは別の社会モデルを構想する冒険は可能だ。アルパカキャラたちに、物語を続けてもらおう。

4.4 まばらでゆらぐオルタナティブデータで健康になる
◆健康向上が健康な状態

フェナ:健康な状態って、どうしたら評価できるのかしら。もし評価できれば、より健康な状態へ、健康向上が望めるようになるのよね。

フェノじい:健康向上は元気な状態だと仮定して、どのように元気なのか、元気なら何をするのか、チェックリストを作れば、個人ごとのチェックリストが、健康な状態の評価方法になる、と考えた先駆的研究があるのじゃ。循環論法で、禅問答のようじゃが、重要なのは、各人が自主的に取り組むということで、健康向上の行動を記録すれば、健康な状態を評価できるという考えじゃの。健全な会社経営を考えてみると、PDCA(Plan・Do・Check・Action)サイクルを廻(まわ)すようなものじゃな。

フェネイ:以前、じいが話していた、東北福祉大学感性福祉研究所・山本光璋教授の先駆的なご研究ね(※参考3:『おいしいデータの家庭料理』第16回、2026年8月12日付、https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-175/#more-23594)。元気な状態を点検して、データを記録していた学生さんは、最初のうちは自主的に取り組んでいるけれども、講義が終わると、継続しなかったようね。もっと大きな問題は、元気点検票が「言語」のデータであったために、著作権でしか保護できずに、特許化は難しかったのでしょ。健康向上のオルタナティブデータは、医薬品開発のバイオマーカーのようなもので、個体差の問題と経済性の問題で、その当時は、実現困難だったという話を聞いたわ。個体差の機械学習技術、フェノラーニング®で、新展開があるとよいけれどね。

フェノじい:フェノラーニング®などの技術革新よりは、その技術革新をどのように使うのか、社会システムそのものの問題じゃな。PDCAサイクルは、アナログなフィードバック制御の時代の経営論じゃが、デジタル技術で、リアルタイムのセンサーデータによる予測制御の時代では、CAPDサイクル(データの収集Collectionが最初)になると考えておるぞ。しかも、アナログな時代の社会システムのように、制度によって記述できる社会ではなく、デジタルな時代の超並列動作する社会プロセスとして、シミュレーションで確率的な記述しかできない社会になるのじゃ。

フェネイ:それは健全な社会なのかしら。欧米で合法化されているブックメーカー(Bookmaker)が、最近では予測市場として、大規模化しているわね。予測市場では、インサイダー取引の取り締まりが難しいし、市場が失敗するリスクの評価も難しいでしょ。デジタル化された金融資本主義において、AI予測制御の時代になると、警察などの外部組織による犯罪摘発が、AI技術の進歩に追いついていけるのかしら。

フェノじい:フェネイの、心配はもっともじゃの。だからこそ、金融資本主義ではない、新しい社会モデルを構想する必要があるのじゃ。より正確には、産業資本主義や金融資本主義を部分的に含む、データの取得方法が特許権で保護された、データ資本主義の社会モデルじゃ。

フェニイ:データの取得方法を特許化するためには、その技術が、産業や社会にとって、具体的に何の役に立つのか明確にする必要があるぜ。そうすると、データの管理や、データの利用も含めて、実施例に記載された内容が、特許の請求項を構成することになるのさ。特定のデータ管理やデータ利用を実現するために、不可欠なデータ取得方法を工夫して、特許出願しないと、特許としての強い権利が主張できないぜ。その意味では、オルタナティブデータのフェノラーニング®であれば、有用性さえ示すことができれば、強い権利になりそうだな。

◆自己言及性について

フェノじい:新しい社会モデルでは、社会的移動を革新したクルマ社会や、社会的コミュニケーションを革新したスマホ社会のように、社会の意味や価値が変容して、個人の消費行動に大きな影響を与えるのじゃ。資本主義の、あり方が変わる、経済活動のゴールポストが移動するといっても良いじゃろう。

フェネイ:経済ゲームで負けそうになったら、勝敗のルールを変えてしまうようなものね。戦争の場合はよくあることで、そもそも、ルールなどないのだから、なんとでもなるのよ。AI覇権戦争も、似たようなものかしら。

フェノじい:政治のゲームは、右か左か、上か下か、中心か周辺か、結局は敵と味方の話じゃの。右か左か、すなわち、保守か革新かとはいっても、中道や極右・極左のように、実際の政策では、中道に対する対立軸が問題になるぞ。上か下か、すなわち、上昇志向か下降志向かは、反エリート主義として現代的な意味がある。中心か周辺か、微分的か積分的かというと、難しいが、個人主義か社会主義かというと、単純化し過ぎかもしれんの。政治の問題は、結局は、経済の問題であって、経済の問題を、政治によって「ゴールポストを動かして」いるのじゃ。場合によっては、戦争の勝ち負けとして「ゴールポストを動かす」のだから、政治は危険じゃぞ。経済の問題は、結局は社会の問題なのだから、経済の問題を、社会によって「ゴールポストを動かす」こともありうるぞ。革命であれば、結局は政治の問題になってしまうのじゃが、産業革命やルネサンスのような、技術革新や文化運動の場合は、意味や価値の問題で、経済の「ゴールポストを動かし」たのじゃな。AI革命を、社会の問題として理解すれば、経済の「ゴールポストを動かす」可能性があるぞ。

フェナ:じいが、寝言を始めたわ。AIが、どのように社会に影響を与えるのか、だれも予測できないとしても、AIが社会をどのように理解するのか、AIが理解できる社会モデルを、AIに学習させることはできるでしょ。現在のAIビジネスのように、弱肉強食の社会が望ましいとは思えないけど、社会的な問題を解決する社会モデルならどうかしら。

フェネイ:現代の社会学で、学問的に影響力が大きいのは、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンの社会システム論ね(※参考2:『自己言及性について』〈ちくま学芸文庫、2016年〉)。社会を、オートポイエーシスの一般システム理論によって、社会システムとして理解するのよ。でも、この理論をAIが学習したとしても、AI自身の集団的動作に影響するとは思えないわ。自己言及性を、狭い意味での再帰関数とすれば、人工知能プログラミング初期のLISP言語とは相性が良いわね。最近のAIシステムのように、再帰的自己改善まで含めて広義に解釈すると、暴走が止められなくなるのよ。フェナの「社会的な問題を解決する社会モデル」も、もしAIシステムに実装されれば、一種の自己言及性ね。

フェニイ:AIシステムに実装するためには、敵対的生成ネットワーク(GAN)とは異なるアルゴリズムを工夫して、大量のデータを学習させる必要があるぜ。大量の、社会的な問題のデータであれば、なんとかなるとしても、社会的な問題を解決する大量のデータは、そもそも存在しないのさ。おれは、自己言及性など、難しい理論は信用していないんだ。みんな、どこかでごまかしている。数学だって、理論は正しいとしても、理論の前提条件をごまかしている場合もあるぜ。データは、ゴミの山だったり、改ざんされたりすることはあっても、無いものからデータは作れないので、ごまかすことは難しいのさ。きれいなグラフで不都合な部分は隠したり、難解な数式でわからないようにしたり、データの解析結果をごまかすことは、よくあるけどな。

◆経済の健康向上

フェネイ:現在の状況で社会学が重要なのは、経済戦争やAI覇権のゴールポストを動かすためであって、社会学自体が、正しい理論である必要はないのよ。その意味では、ルーマンの社会学は、政治や文化の理解には役立つとしても、経済の問題では成功しているとは言えないわね。資本主義社会であったとしても、健全な経済状況と、失敗した経済状況があるはずでしょ。それは、好況と不況、または恐慌とは別の評価尺度で、健康向上のように、自己言及的な評価尺度かもしれないのよね。フェニイがいうように、AI覇権とかいっても、意味不明なオルタナティブデータも含めて、まだ存在していないデータは、独占しようもないのだし。データが自己言及的になったら、どのようになるのかしら。

フェノじい:自己言及的なデータとは、良い指摘じゃの。考えたこともなかったわい。「データにおける個体差とは、個体差の表現の個体差である」というテーゼは、自己言及的といえば自己言及的じゃが、個体差の増幅や縮小のメカニズムがあるという意味なので、必ずしも個体差そのものの自己言及ではないぞ。それよりも、個体差とは何かという問いの中に、少なくとも2つ以上の個体があって、その差異をデータで評価しうるという「答え」が含まれていることこそ、自己言及的、または、自己言及性を突破している、といえそうじゃ。

フェネイ:ルーマンの社会学では、閉鎖的なオートポイエーシスという「個体」が存在して、その次に組織とか国家という社会になってしまうのよ。組織とか国家も、閉鎖的なオートポイエーシスという意味での、「個体」的なシステムとして理解されることから、かなり短絡的な自己言及性といえるわね。じいの場合は、個体差を問題にしているので、最初から個体の集団が存在していて、その集団の構造が問題になっているのよね。だから、集団の中の集団とか、もっと大局的な、間接的な自己言及性ね。

フェナ:健康向上が、健康な状態の評価尺度になるという意味での自己言及性は、閉鎖的で短絡的な自己言及性と、大局的で間接的な自己言及性の、中間ぐらいの感じかしら。多分、自分だけではなくて、家族とか友人とか、具体的な他者を想定した自己言及性ではないかしら。

フェニイ:そうすると、経済の健康向上は、具体的に競合する企業や国家を想定した、自己言及性かもしれないぜ。競合する相手を変えれば、比較する尺度も自然に変わって、ゴールポストを動かすことになるのさ。最近のグローバル資本主義は、地球上のすべての地域や国家を含む、最大規模で最も間接的な自己言及性ということになるな。経済の場合、自己言及性は、単純に指数関数のような、倍々ゲームになりやすいので、よほど注意しないと、ネズミ講のように破綻(はたん)してしまうのさ。急速に成長していても、健康とは限らないんだぜ。

◆場所の地図と表現の場

フェナ:大規模な経済の健康向上は、難しそうね。小さな地域経済の場合はどうかしら。個性的で、一喜一憂するみたいな、まばらでゆらぐ健康向上が工夫できそうだけど。

フェニイ:地域経済がまばらになるには、隣接する地域とは、あえて異なる経済基盤を志向する、役割分担するみたいな、均質な社会にならない仕組みがありそうだぜ。ソビエト連邦の社会主義経済や、米国のグローバル資本主義経済では、規模が大きくなりすぎて、単調な経済基盤になってしまったので、個性を失って、環境の変化に適応できなくなってしまったのさ。業界地図を作ってみれば明らかだけど、一極集中で、巨大企業の競争(縄張り争い)で、やっと均衡を保っている単純な業界地図だな。地域の農産物や工芸品を、特産品とするような、個性的で、まばらな地域経済であれば、経済の健康向上を、自発的で自己言及的な、オルタナティブデータで評価するのも面白そうだな。まばらな地域経済のネットワークをたどってゆくと、自分自身に戻ってくるみたいな、冒険談さ。

フェノじい:造り酒屋が、全国に散らばっていて、個性的で、何百年も継続する、地域の食文化を支えてきたようなものかのう。それでも、工業化して、大規模生産になると、その個性が失われてしまうのじゃな。そもそも、デジタル経済の時代になって、地域経済のネットワークもデジタル化されて、自分自身に戻ってくるのが、1ミリ秒以内ということになるぞ。AIを活用する新しい産業基盤を、外国や外部の巨大テック企業に依存しないで構築・運用するという考え(ソブリンAI)はあるが、地域経済は問題外のようじゃ。ソブリンAIは、経済安全保障や、軍事安全保障でしかないぞ。

フェネイ:だから逆に、まばらな地域経済のネットワークが大切なのよ。そもそも、AI技術を社会実装するためには、スマホなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が必要になるので、ソブリンAIは、ソブリンSNSから始めないとね。

フェニイ:俺にいわせれば、ソブリンSNSは、業界や地域ごとに構築・運用するのさ。SNSのWebアプリなんて、コード生成AIで簡単に作れるぜ。

フェネイ:ソブリンSNSは、例えば、国内に100万個あるとして、そのうち100個に参加するための個人用Webアプリのほうが面白そうね。ソブリンSNSに参加するための、個人用Webアプリは国が開発して、認証システムなど、セキュリティー管理に責任を持つのよ。そうすると、ソブリンSNSは、気楽に開発できるわ。

フェノじい:ソブリンSNSは、デジタル時代の「表現の場」ということか。そのソブリンSNSでは、意味不明なオルタナティブデータが集積されるのじゃ。それをデータ主権と言おうと何と言おうと、みんなで機械学習して、意味が明らかになると、本当の経済的な価値が見えてくる。面白い未来になりそうじゃのう。

◎番外コラム:自己言及的表現を突破した、定義の中に答えがある

フランスの哲学者ルネ・デカルト(1596~1650年)の「我思う、故に我あり」は、近代合理主義哲学の幕開けになった。「我あり、故に我思う」と言い換えてみると、デカルトの命題は、自己言及的であることがわかる。一般に、自己言及的な命題は、少ない言葉で、難しい問題の本質を記述する。デカルト以前の、長い欧州の中世に、くさびを打ち込むような表現だ。

自己言及的表現を、数学やプログラミングの表現では、「再帰的表現」という。フィボナッチ数列の漸化式(An+2=An+An+1, n≧0)や、LISP言語の再帰関数など、多種多様な例題がある。数理論理学における、クルト・ゲーデル(1906~78年)の不完全性定理も、厳密に定義された自己言及的表現だ。哲学や論理パラドックスでも、自己言及的表現が多いけれども、必ずしも、厳密に定義されてはいない。

最近は、AI開発において、再帰的自己改善が話題になっている。しかし、プログラム型万能計算機(チューリングマシン)を発明して、その数学的原理を研究した英国の数学者アラン・チューリング(1912~54年)が、プログラムが停止することを正確に判定するプログラムは存在しないことを、自己言及的論理表現によって証明している。

デカルトに始まり、チューリングまでの、近代合理主義の発展とその限界は、自己言及的表現を中心にして探求され、近代以降の欧米社会を導いてきた。デカルトに続いた近代合理主義哲学の巨星、バールーフ・デ・スピノザ(1632~77年)は、「神すなわち自然」という、自己言及から超越した定義そのものを、すべての思索の出発点とした。自己言及表現は、簡潔で強力だけれど、場合によって、パラドックスを誘導したり、無限ループに陥ったり、病的な状況になる。定義へのこだわりは、現代数学の新境地を切り開いた、アレクサンドル・グロタンディーク(1928~2014年)に引き継がれ、既存の社会と歴史への、最も深い地点からのオルタナティブ(ありうる別の世界への分岐)となっている。

筆者としても、スピノザやグロタンディークの後に続きたいとは思うけれども、世紀の大天才で生粋(きっすい)のアウトサイダーには、近づき難い。もう少し身近なオルタナティブ(ありうる別の世界への分岐)を探してきた。幸い、データの世界は始まったばかりで、言語や数学の世界のような、重々しい歴史がない。職業としてきたデータ解析において、40年以上考え続けている問題、「個体差とは何か」という問題の、個体差の定義に、問題の答えが含まれていることに気が付いた。自己言及表現を突破できたという、確かな実感がある。

個体差を問題にしているので、個体は複数存在しているし、個体の差異を数値化できることが前提条件になっている。すなわち、個体差が問題となるようなデータは、個体差のデータの集合と見なせばよいのだ。与えられたデータから、すべての個体差を計算することは、パソコン程度で可能だ。そして、重要な個体差を予測するモデルを作る。「重要な個体差」は、個体差の予測にとって重要な個体差のはずだ。それは、考えている個体差の集団の中で、その集団の構造を理解するために、重要な個体差だ。

訳のわからないことを言っているようだけれども、要するに、個体の集団ではなく、個体差の集団を考えること、そして、個体差の集団には、特定の個体の個体差を予測するために役立つ、集団の構造があるという仮定に帰着する。

個体差の集団の構造のことを、従来は、個体差の「表現の場」と記述してきた。表現の場というと、物理的な「場」(電磁場など)とか、固有名詞のついた地図上の場所など、あいまいな比喩(ひゆ)的な表現になってしまう。個体差の集団の構造であれば、具体的に構成できる。

このわずかな「気づき」が、AI覇権における資本主義社会のゴールポストを動かすのだろうか。世界銀行は、『世界開発報告(WDR)2026:人工知能の約束』(参考4:https://www.worldbank.org/en/publication/wdr2026)の中で、電力や通信環境が限られた途上国向けの軽量なAI活用戦略として「スモールAI」を提唱している。現在のAI覇権は、業務用と考えれば、ポルシェやフェラーリで荷物を運んでいるようなものだ。トラックのほうがよほど経済的だろう。家庭用と考えれば、「スモールAI」が先進諸国でも主流になる。AI開発競争が、研究開発だけの目的であれば、明らかに過剰投資だ。米国とソ連の冷戦時代の核爆弾が、米国と中国のAI覇権に置き換わっただけの構図で、陳腐な時代遅れでしかない。老齢化した独裁者には退場してもらおう。すでに世界経済のレベルでは、ゴールポストは動いている。気がつかないのは、裸の王様だけなのだ。

【目次案】「おいしいデータの家庭料理」
1     はじめに; データをおいしくする家庭料理
1.1 おいしいデータは栄養たっぷり
1.2   地域のデータをおいしくする
1.3 データの学習と食事
2     データの料理法
2.1 生データのしたごしらえ
2.2 データは発酵するのか
2.3 データの調理器具
2.4 データの献立表
2.5 データのフルコース
2.6 おいしいデータは、地域と経済を健康にする
3  機械学習の学習
3.1 データをおいしく下ごしらえしてから機械学習する
3.2 機械と一緒にデータを学習する
3.3 機械と一緒にデータを使うビジネスを考える
3.4 楽しくデータの学習をする
3.5 データの学習は冒険でもある
3.6 機械と一緒にデータビジネスの冒険をする
4  まばらでゆらぐオルタナティブデータの家庭料理
4.1 まばらでゆらぐ生活と経済のオルタナティブデータ
4.2   生活と経済を健康にするオルタナティブデータの家庭料理
4.3 まばらでゆらぐオルタナティブデータの調理法
4.4  まばらでゆらぐオルタナティブデータで健康になる<本稿>
4.5   オルタナティブデータを使った生活と経済の予測
4.6 生活と経済のリスクを生き延びる
4.7 たくさんの小さな試行錯誤による適応
5  よりあいグループと社会
5.1 よりあいグループ(地域や家族)のデータ
5.2 よりあいグループのよりあいグループ
5.3 機械と学習するよりあいグループのデータ
5.4 よりあいグループのデータは廻る
5.5 よりあいグループのデータの周辺
5.6 よりあいグループのデータを予測する
5.7 よりあいグループのデータで社会問題を解決する
6  おわりに;生活と社会の近未来
6.1 ほとんど色即是空・空即是色な(まばらでゆらぐ)世界
6.2 まばらでゆらぐ人びとの地域社会
6.4 データでつながる、地域のNPOから国際NGO連合まで

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 技術的な内容は、「ニュース屋台村」にはコメントしないでください。「株式会社ふぇの」で、フェノラーニング®を実装する試みを開始しました。

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