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NHKスペシャル「2024私たちの選択」が提起したもの
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第259回

2月 02日 2024年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住26年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

1月4日に放送されたNHKスペシャル「2024私たちの選択―AI×専門家による“6つの未来” ―」は私たちの今後の在り方を考えさせられる興味深い番組であった。生産年齢人口がピークを迎えた1997年以降、一貫して下がり続けた日本の実質賃金。2023年の国内総生産額(GDP)は、人口が3割も少ないドイツに抜かれて世界4位に転落。今や1人当たりのGDPは世界32位(22年)と、日本は中進国に成り下がってしまった。こうした日本の凋落(ちょうらく)を予見して私は「ニュース屋台村」などで警鐘を鳴らしてきたつもりでいたが、残念ながら私の声は届かなかった。

最近になり少しずつ「日本の凋落」や「安い日本」の実態がマスコミによって伝えられ始めてきた。それでも人間は「正常性バイアス」という生来の気質から、自分に不都合な事態を認めようとはしない。こうした日本の実情を見たくない人たちからは感情的反発が生まれる。一方で、日本の問題点を指摘する人たちも個別事象だけに焦点を当てており、総合的な提言を見る機会は少ない。前置きが長くなったが、今回ご紹介するNHKスペシャル「2024私たちの選択」は、こうした日本に対して「複合的な提言」を試みた価値ある取り組みである。

◆「フレキシブルな勤務体系」導入の難しさ

まず「2024私たちの選択」の番組概要をご説明したい。私たち日本人の30年後の未来は四つの選択肢から六つの未来像に分類される。未来像としては「働けど貧困社会」「地方分散・マイペース社会」「現状維持社会」「都市集中格差社会」「多様性・イノベーション世界」「多様性・停滞社会」の六つ。四つの選択肢は「賃金」「働き方」「人口」「イノベーション」である。この四つの改革にすぐに手を付けなければ、私たちは30年後には人口・賃金が下がり、かつ働き方も悪化する「働けど貧困社会」に到達する。現在の日本よりもさらに貧困で不幸な社会が出現する。番組のAI(人工知能)が予測した30年後の日本は「極めて暗い日本」である。AIによれば、このまま何も手を付けなければ「明日は確実に今日より悪くなる」ようである。

それでは、今すぐに着手しなければいけない施策を一つずつ見ていこう。まず番組で提言されたのは、ドイツの事例を参考にした「フレキシブルな勤務体系」である。社員は「子育て」「家事」「親の介護」などの理由からフレキシブルな勤務時間を選択できる。よしんばマネージャーという管理職であっても、フレキシブルで短い勤務時間を選択した2人の人間が分担してマネージャー職を受け持つことが可能となる。仕事がシステム化されテレワークが可能になった現代だからこそ、ドイツではこうしたフレキシブルな勤務体系が導入できたのである。

こうした勤務形態を日本に導入することで、特に女性がより多く職場で登用され賃金も上昇すると推定している。ただこうした勤務体系の導入は簡単なことではない。日本の既存の人事システムを撤廃する必要がある。日本の大手民間企業では「総合職」「地域総合職」「一般職」「派遣社員」「パート」などと社員を分類して管理しようとする。こうした職階間ではヒエラルキーが存在し、階層社会を生み出している。

番組が紹介した「フレキシブルな勤務体系」は社員全員が同じ職階に就くことを意味する。複雑な人事制度を利用して自身の権力を温存してきた大企業の人事部や、他職階に対し優越感を味わってきた「総合職」の人たちは強く抵抗するであろう。こうした強い抵抗を押しのけて制度改革をしなければならないのである。

日本の人事制度については拙稿第197回「人事政策の抜本的改革の提言(その1)」(21年7月9日付)以来4回にわたって私の論考を連載してきた。日本企業および日本そのものが再び発展軌道に乗るためには、人事制度の改革は避けて通れない課題である。「2024私たちの選択」ではすぐにでも「フレキシブルな勤務体系」を導入すれば、28年には「テレワークの導入率の向上」「育休取得率の増加」「労働時間の短縮」「運動習慣の向上」などの成果が表れてくるとAIが予測していた。

◆少子化対策の難しさ

次に課題となっていたのが、1人の女性が生涯に産むことが見込まれる子供の数を示す「合計特殊出生率」(以下、出生率)を引き上げる施策についてである。22年の日本の出生率は1.26人であり、世界の中で最下位を争う順位である。番組では出生率を引き上げるための具体的施策として、日本政府が現在取り組んでいる「保育士、保育所の増加・充実」「子供の教育費の政府支援」「非正規雇用の縮小」「相対的貧困の改善」などをうたっていた。こうしたことがすべてうまくいけば、AIは出生率が現行よりも30%アップする(1.26人→1.7人)と見込んでいる。しかしこれも「そう簡単な話ではない」と私は考えている。

第188回「本当に大丈夫?日本の少子化対策」(21年2月26日付)でも指摘した通り、日本の少子化には構造的問題が内含されている。本稿を執筆したバンコック銀行の佐久間絵里さんによると

①女性の大学進学率の増加による晩婚化と未婚者数が増加、これにより出生数も減少

②30歳から49歳までの平均給与が過去20年間すべての年齢層で減少(国税庁・民間給与実態統計調査)。希望する結婚相手のミスマッチングが発生

③親と同居している未婚者数が増加し、結婚による経済的メリットが減少

④女性の就業率と出生数は正比例の関係にあるが、日本では女性の正規就業者数が増加していない

などの問題がある。

日本政府が打ち出している「保育士・保育所の増加」や「教育費補填(ほてん)」などの補助金施策は比較的簡単に推し進められる政策である。しかし「非正規雇用の縮小」や「相対的貧困の改善」などは具体的に何をするのか示されていない。

さらに佐久間さんが指摘する構造的な要因は解決が難しい問題である。番組の中でも有識者は「現代は若者が夢を描けない社会である」と発言していた。また「企業は生き延びるために必死で、若者にモチベーションを与えていない」とも指摘していた。夢が無ければ若い人たちは子供を持つことも考えない。少子化問題を単に経済的な問題だけにすり替えることは大きな間違いである。

◆「同じ言語」で理解し合う難しさ

番組が提起した3番目の問題が「研究の充実・イノベーションへの挑戦」である。具体的には「大学と企業の共同研究の推進」「科学技術研究費の増額」「世界トップレベルの論文数を10%増加させる」ことを目指す。

日本はバブル崩壊後の1990年代に大手民間企業が相次いで研究所を縮小。それまでの「大学は基礎研究に従事し、企業が実用的な研究を担当する」という枠組みが壊れてしまった。これ以降、日本の研究技術力は後退に次ぐ後退である。2021年の日本の研究論文実績を見ると、AI関連では世界7位、ブロックチェーン関連世界14位、次世代型太陽電池7位と、決して褒められた状況にはない。

このテーマについても私は何度かこの本欄で指摘してきた。第168回「教育水準と軍事費が日本の技術力に与える影響」(20年5月15日付)と第205回「喫緊の課題 日本の教育制度を考える」(21年11月5日付)で検討してきたように、日本の大学進学率は23年時点でOECD(経済開発協力機構)加盟30か国中26位以下と最下位争いをしている。特に修士課程や博士課程への進学者数は、人口当たりで米国の5分の1と極端に少ない。研究者となる人たちの絶対数が少なく、かつ高等教育に進んだとしてもその後のメリットがない就業構造になっている証しである。

また日本の大学の運営は運営交付金(国立大学の運営費の51%)、私立大学助成金(私立大学の運営費の13%)など政府援助に大きく依存している。政府による交付金が近年削減される中、研究者には十分な研究費が支給されていない実態がある。

さらに、番組が提言した「大学と企業の共同研究の推進」についても、拙稿第147回「日本とタイの産学連携の試み―中間報告」(19年7月12日付)で述べた通り、研究者と企業人が「同じ言語」で理解し合う(換言すれば、互いの立場を尊重しつつ双方にとって最善の方向を目指す意思を確認し合う)ためにはかなりの努力を要する。バンコック銀行日系企業部の私設部会である「産学連携部会」(3か月ごとに開催)では、コンケン大学やソンクラー大学などタイの有名地方大学に参加してもらい10年にわたって議論をしてきた。部会を開催して5年ほどたってようやく各大学から参加するメンバーが固定化してきた。大学内で発言力があり、かつ企業の人たちと同じ言葉で話せる人が養成されてきたのである。

私は日本でも提携銀行の協力を得て、20以上の大学を訪問してきた。しかし東北大学など数校を除いて、私と「同じ言語」で話をしてくれる研究者の人とはお目にかかれなかった。私の力不足が主な原因ではあるが、産学間での連携の難しさを感じた瞬間であった。このように「研究の充実・イノベーションへの挑戦」も具体策を考えると簡単にはいかない。

◆何もしないと「明日は確実に今日より悪くなる」

私は本稿でNHKのこの番組の試みを批判しているのではない。むしろ「現在の日本には、複合的な施策が要求されている」という主張には両手を挙げて賛同したい。しかし、この複合的施策の個別策を見ていくと、まだまだ詰め切れていないものも見受けられる。また、こうした施策を妨げる構造的要因の解決も容易ではない。「賃金」「働き方」「人口」「イノベーション」はそれぞれ互いに結び付いた課題であり、多くの人たちが異なった部署で連携しながら対策を打つ必要がある。

自分たちの利権だけでやりやすい「補助金のバラマキ」に走る政治家たち。省庁の壁に遮(さえぎ)られ統合的な政策が打ち出せない行政。短期的な収益目標に汲々(きゅうきゅう)として、長期的な資金拠出や体制構築ができない民間企業。番組で提起された問題を解決すべき当事者たちは多くの構造的問題を抱えている。

こうした構造的問題を乗り越え、各人が具体的な問題に取り組むのは容易ではない。それでもこのNHKの番組が提起した問題は大きい。AIが私たちに伝えている。何もしなければ「明日は確実に今日より悪くなる」のである。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第197回「人事政策の抜本的改革の提言(その1)」(21年7月9日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-64/#more-12009

第198回「人事政策の抜本的改革の提言(その2)」(21年7月23日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-68/#more-12065

第199回「人事政策の抜本的改革の提言(その3)―新人事制度の骨格」(21年8月13日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-69/#more-12107

第200回「人事政策の抜本的改革の提言―マネージャーの重要な役割」(21年8月27日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-70/#more-12147

第188回「本当に大丈夫? 日本の少子化対策」(21年2月26日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-49/#more-11588

第168回「教育水準と軍事費が日本の技術力に与える影響」(20年5月15日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-29/#more-10391

第205回「喫緊の課題  日本の教育制度を考える」(21年11月5日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-75/#more-12497

第147回「日本とタイの産学連携の試み―中間報告」(19年7月12日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-9/#more-9074

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