「中米の日本」を目指した国、エルサルバドル
「中南米徒然草」第1回 

6月 06日 2014年 国際

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石井清史(いしい・きよし)

グアテマラ・カトリック大学留学後、外務省勤務。在コスタリカおよび在ボリビア日本大使館参事官、ブラジル・リオデジャネイロ広報文化センター所長などを歴任。中南米生活35年余。退職後の現在はエルサルバドルに在住。専門は存在論を中心とした哲学。40年来取り組む人生の課題は、仏教とキリスト教の比較研究、日本文化・東洋文化と西洋文化の全般的比較研究。

◆内戦前までは世界でも有数の親日国

エルサルバドルで6月1日、内戦時の統一武装ゲリラ組織であり、現在は同国の国会第一党であるファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)のサルバドル・サンチュス・セレン大統領(同じくFMLNのオスカル・オルティス副大統領)政権が発足しました。

エルサルバドルには戦後初めて、1956年に紡績(エルサルバドルの主要産業だった綿花生産を基に、伊藤忠と呉羽紡=当時=の出資で設立された中米最大の紡績企業IUSA社)、そして66年に合繊関係の日本企業が進出し、海外初のトヨタ自動車販売店が開設されました。また、中南米で初めて海外青年協力隊が派遣され、78年に海外で初めて日本企業関係者が武装ゲリラ(FMLN)に誘拐・殺害された国です。50年代後半から内戦が激化する前の70年代末まで日本との外交関係の進展は顕著で、本気で「中米の日本」を目指していた国です。

読者の中にはオリバー・ストーン監督の「サルバドル/遥かなる日々(原題名:Salvador)」で悲惨な内戦の実情を垣間見た方がおられると思います。80年の内戦開始から92年の和平合意まで12年間続いた内戦では、犠牲者約7万5000人、行方不明者8000人、身体障害者1万2000人、50万人の避難民を出しました。旧ソ連・キューバと米国の代理戦争とも言われます(もっとも、1992年から2014年までの一般犯罪による死者数は優に7万5000人を超えます)。

日本人が「ラテンアメリカ」を思い描く時、屈託がなくて人懐こく、街にはラテン音楽が流れ、熱帯の草花が生い茂り、快適な気候に美人、そして多様な美酒がある国を想像するでしょう。各国それぞれに日本人を魅了する未完成な特徴があります。中でも、狭隘(きょうあい)で天然資源のないエルサルバドルの風土と働き者の国民性は、最も日本人に「しっくり」来る国でしょう。ラテンアメリカ各国に派遣されている青年海外協力隊の現地人との婚姻率はエルサルバドルが最も高いという点が、何よりもこの事実を物語ります(実は私の妻もエルサルバドル人です)。

内戦前には世界でも有数の親日国でした。しかし、78年に進出日本合繊企業INSINCA社(エルサルバドル政府出資の投資公社CORSAINと蝶理、岐セン、東レ、三井物産が出資し、66年に設立した半官半民の合繊繊維メーカー)の社長が武装ゲリラに誘拐・殺害され、同年暮れには同社の別の役員が誘拐される事件(数百万ドルの身代金を支払い解放)などがあり、内戦の激化に伴って、日本大使館は内戦が終結した92年まで12年間閉鎖されました。この間、JETRO事務所と企業関係者・在留邦人はコスタリカなどに退去を余儀なくされ、多くの日本企業は投資や権益を失い、日本全体として多大な損失を被りました。

「中南米徒然草」の第1回は、現在筆者が住むエルサルバドルの現状や日本とのつながりに触れながら、多くの日本人にとって遠いところのように感じるかも知れないラテンアメリカが、さまざまな点から俯瞰(ふかん)してみると、実は意外に近い存在であることを説明させていただこうと思います。

◆貿易赤字を相殺する海外出稼ぎ者からの送金

エルサルバドルの国土面積は日本の四国とほぼ同じの約2.1万平方キロ、人口は約650万人、米国を中心とした出稼ぎ者数は250万人余、彼らの家族への年間送金額は約38億ドルで、貿易赤字を相殺しています。

特に米ロサンゼルスには出稼ぎ者・家族の大部分である約200万人のエルサルバドル出身者が居住していると言われており、居住者数からみたエルサルバドルの首都はロサンゼルスではないかと、国民は自嘲しています。米国、特にロサンゼルスを旅行すると、ホテルやショッピングセンターなどでスペイン語が頻繁に聞こえます。出身国を聞くと、メキシコに次ぐのがエルサルバドルです。ロスにはエルサルバドルの国民食である「ププサ」(Pupusa)の食堂も多数開業しています。もちろん、出稼ぎ者相手の商売です。

ププサとは、トウモロコシ粉(米粉もある)に味付けフリホレス(インゲンマメ)の煮つぶしやチーズ、チチャロン(Chicharon=豚肉の脂身のから揚げ)などを詰めて平たくし、日本の「おやき」のように鉄板で焼いたものです。一枚25セント~1ドルで、かなり食べごたえがあり、トウガラシ味の酢漬けキャベツを食べ合わせにして3枚も食べると腹が膨れます。エルサルバドルでは庶民の夕飯で、街角至るところに簡便な食堂があります。ちょっと高めの食堂のものは美味で、筆者もよく食べます。好みは米粉のププサです。ちょうどイタリア系ブラジル人が夕食にピザを食べる習慣とよく似ています。

一人当たりの国民総所得(GNI)は約3400ドルですが、スペインの植民地時代からの大土地所有制に起因する社会構造、内戦の原因となった巨大かつ歴然とした貧富の格差が存在するため、この数字は一般国民の生活実態を反映していません。端的に言えば、国民の大半を占める貧困層が支持するFMLNと伝統富裕層により組織された国民共和同盟(ARENA)の極左極右対立の構図は、FMLNとARENAが結成された80年から現在まで基本的な変化はありません。

◆横行するコネ、海外流出する頭脳

極左政党FMLNと極右政党ARENAの対立には国民がうんざりしています。民間企業は言うに及ばず、政府・地方公共団体、政府関係機関など、就職は基本的に「コネ、コネ、コネ」のコネ社会です。

公務員・会社員となり、それなりのポストを占めるには「コネ」、誰のファミリー一員であるかが決定的です。「コネ」はどの国でも大なり小なり存在しますが、ラテンアメリカでは特に顕著です。

他方、例えば、筆者がサンパウロおよびリオデジャネイロと計10年在勤したブラジルの労働者党(PT)政権では、市場経済が進み、基本的な自由競争原理が働いており、巨大マスコミの自由・主体的な活動があり、社会の中核となる厚い中間所得層が形成されており、国民の教育熱は高く、努力いかんで社会進出が可能となっています(もっとも、サッカー・ワールドカップを目前にしたブラジルでは現在、ルセフPT政権の浪費に抗議する巨大な全国的反政府デモが頻発していますが)。

残念ながら、現在のエルサルバドルには自由競争原理が作動せず、カルテルやコンツェルンを形成する特定ファミリーの政治・経済支配が続いているため、社会安定の鍵である中間所得層が薄く、有能な青年の米国への「頭脳流出」が続いています。60年のキューバ革命後、エルサルバドルに限らず、ラテンアメリカ諸国の政治状況が極右から極左に大きく揺れるのはこうした社会格差とコネ社会が主因と言えます。

筆者は外務省在職中に多数の国費留学生を選考し、現地政府・企業・教育関係者や外務省招待者と親交し、JICA研修生と意見交換するなどして、彼らの訪日後の印象を聞く機会がありました。中でも、多数の人が「日本は社会主義国ではないのか?」と驚きの印象をあらわにしました。それは、日本の税制、公務員制度、三権分立、医療制度、教育制度などの各種の社会制度、機会均等などわずかな社会格差などで社会正義と平等社会が実現していることが理由だといいます。かつて首相が収賄により実刑判決を受け、収監された事実を説明しても、贈賄・収賄が日常茶飯事のラテンアメリカでは信じがたいそうです。

◆就任式には反米左翼諸国の首脳も出席

80年の和平合意から数えて第5代となるサンチェス・セレン新大統領は6月1日の就任演説で、すべての国民の融和・友愛と協調、国際協調、欧米・アジア・アフリカ諸国との全方位外交、公務員改革、中米統合推進、貿易推進、国際機関・ドナーによる経済協力、多数の出稼ぎ者が居住する米国との関係、貧困撲滅、社会正義などを強調しました。

また、特に米国のみ国名を挙げて、米国の開発援助パッケージを得るためには供与条件達成努力が必要である旨を強調しました。和平合意後の歴代大統領をみると、第1代~第3代大統領はARENA。FMLNが擁立した第4代フネス大統領はマスコミ出身で元来FMLN党員ではなく、疑似FMLN政権でしたので、新政権が真正のFMLN政権と言えます。

就任式進行は国会議長(FMLN党)により行われましたが、三権や外交団、国際機関、シンクタンクなどの他に、FMLNが招待した労働組合、NGO、市民団体代表が半数以上を占め、シュプレヒコールやヤジも多く、さながらFMLN党大会のごとくでした。

また、中南米の左派諸国が米国主導の自由貿易圏に対抗する米州ボリバル代替統合構想(ALBA)のメンバーであるエクアドルのコレア大統領、ボリビアのモラレス大統領、キューバの副首相が入場の際には盛大な拍手があり、FMLNとALBAの緊密な関係が示されました。ALBAは、04年にキューバとベネズエラのチャベス大統領(当時)が反米「21世紀の社会主義」をスローガンに提唱した構想で、反米左翼のボリビア、エクアドル、ニカラグアの他、カリブ海諸国8か国が加盟しています。エルサルバドルは、フネス前政権(サンチェス・セレン副大統領)の時に、ALBAから派生した枠組みで、石油の安価供給を可能とする「ペテロカリブ」に加入しています。ペテロカリブはベネズエラとカリブ14カ国で締結されたエネルギー協定で、石油を輸入に依存するカリブ諸国に対してベネズエラが市場価格より安い設定の原油を安定的に供給するという内容です。

◆ラテンアメリカ諸国の動向を示す試金石

大方の予想に反し、サンチェス・セレン大統領の就任演説は前述のとおり、現実を直視したバランスある内容と言えるでしょう。他方、就任演説での明言でも、努力目標の「口約(口約束)」であって、実現義務のある「公約」と理解されない点は、ラテンアメリカでは常識です。

大統領の任期は5年で、19年6月1日までですがこの間、国会議員選挙・統一市長選挙は、15年3月と18年3月の2回あります。国会議席は84で、現在はFMLNが31、ARENAが11、GANA(ARENAから分党)が11、その他、中道左派から右派までの小政党があります。FMLNにとっては国会の過半数獲得まで12議席です。

任期中に2回ある国会議員選挙により、議席の過半数は「可能・不可能」のどちらとも予測できません。予測できるのは、FMLNが中道左派・中道右派の議員取り込みの戦略をとるか、従来の教条的マルクス主義から政策転換して(その姿勢を見せて)広い支持層を広げるか、どちらも可能性があるでしょう。

筆者は96年~99年、日本が対エルサルバドル援助トップドナーの間、日本政府が日米援助協調で「二つのD(Democracy=民主主義、 Development=開発)」により和平プロセス推進を支援した時代に「Developmen」を担当しました。エルサルバドルでは、日本政府の途上国援助(ODA)の一般無償資金協力を99年に「卒業」した今でも、JICAによる幅広い技術協力が展開されており、親日国である点に変化はありません。

マンパワー以外に資源のないこの中米の小国がALBAの一員となるのか、ブラジルのPT(労働者党)政権のような現実路線をとるのか、今後も国家として承認している台湾との外交関係を継続するか、あるいは最近のコスタリカのように、顕著に経済関係が進展している中国と国交を樹立するのでしょうか。共産圏諸国の中ではキューバとのみ国交のあるエルサルバドル政府の動向は、ラテンアメリカ諸国の動向を示す試金石とも言え、日本としても目が離せないと思います。

次回からはラテンアメリカにおける構造的貧困問題、ローマ法王庁と共産主義、ALBAと米国の影響、クールジャパンなどについて、筆者の生活体験を基に「現象の背景にある時代精神」を含めて述べたいと思います。

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