記者M
新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。年間100冊を目標に「精選読書」を実行中。座右の銘は「壮志凌雲」。目下の趣味は食べ歩きウオーキング。
安倍晋三首相が17日、ラオス、カンボジア訪問を終了し、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国をやっと一巡した。ビエンチャン発の日本の報道各社の首相同行記者のリポートは、ラオスのトンシン首相との首脳会談の内容よりも、安倍首相が就任からほぼ1年かけてASEAN10カ国すべてを訪問し終えた意味合いや意義付けに紙面の多くを割いていた。
18日付の朝刊各紙の見出しだけを見ても、「首相、ASEAN詣で 全10カ国訪問 経済・安保 中国を牽制」(朝日)、「ASEANで復権模索 首相10カ国歴訪 中国をけん制」(毎日)、「首相 ASEANに足跡 1年で全10か国訪問 安保・医療で中国けん制」(読売)と酷似しており、各社の官邸記者クラブ詰め記者がぞろぞろ同行しなくても、一人の代表取材で済みそうな、横並びの内容だった。このうち読売は、19日付で社説でも取り上げ、「ASEAN外交 安保・経済で戦略的な連携に」と論陣を張った。
これら3紙に共通するのは、安倍首相が「就任1年足らずの間に」(読売、毎日)あるいは「就任からほぼ1年かけて」(朝日)といったように、ASEAN加盟10カ国を就任から1年という短い期間ですべて訪問し終えたことを評価する内容であり、その狙いが、アジアで台頭する中国を意識した外交戦略であることを強調している点である。朝日はわざわざ、「日本の首相が在任中に全10カ国を訪れたのは初めてだ」と言及している。
本稿の冒頭を、もう一度読み返していただきたい。僕は「10カ国をやっと一巡した」と書き、「遅きに失した」とは言わないまでも「やっと」に強調の意味を込めたつもりである。
なぜ、このタイミングでラオス、カンボジア訪問なのか。簡単に言ってしまえば、ここ数年、中国からの猛烈な援助・外交攻勢で中国寄りになっているこれら2カ国への首相訪問の優先順位が低く、後回しにされていただけのことである。
東京で12月中旬に開かれる日本・ASEAN友好協力40周年の特別首脳会議を目前に控え、いまだに足を踏み入れていなかったこれら2カ国を訪問し、四国八十八カ所の霊場巡りではないが、この際、駆け足でもなんでもいいから早いとこすべて回りきって、一応「結願」(けちがん)しておこうと考えたのではないか。ビエンチャンで生まれ育った妻は「今頃になって何をしに行ったのかしら。とっくのとうに行っていたと思ってた」と怪訝(けげん)な表情である。
いずれにせよ、そのシナリオをだれが主導して描いたのか知らないが、1年たってやっと一巡した首相のASEAN10カ国訪問は、内政問題にばかり目を向け外交音痴に陥っている各社の官邸詰め記者によって、官邸サイドの思惑通り安倍首相の「外交成果」として、記事にまとめあげられたのである。
◆筋書き通りに進められる「談合会見」
首相が外国を訪問する際、報道各社の政治部の官邸詰めの記者が同行する場合が多い。訪問先を取材カバーエリアとする自社の特派員と現地で落ち合い意見を交換することもあるが、日本政府サイドの記事はもっぱら同行記者が担当する。
首脳会談の相手がアメリカやロシア、中国などの場合だと、特派員が相手国サイドの記事を担当するのが慣例だ。今回のようにASEAN加盟国訪問の場合、特派員も現地に赴いて首脳会談を取材したり会談後の記者会見をカバーしたりするが、実際に記事を書くのは同行記者である。たまに特派員も短い解説記事を書いたりするが、社内向けの「アリバイ」のようなもので内容は乏しい。
同行記者は、官邸記者クラブでの外務省の事前レクチャーや自社の外務省記者クラブ詰めの記者の情報などを基に首脳会談や会談後の記者会見の記事をまとめる。当然のことながら日本政府の立場が色濃く反映され、どの記事もステレオタイプなものになりがちだ。安倍首相の今回のASEAN域内2カ国歴訪後の各紙の記事が見出しまで横並びだったのは、その象徴的な一例である。
首脳会談後の首相内外記者会見というのも、実に「くせ者」である。NHKを通じて日本で生中継される場合、日本時間で15分刻みの定時に合わせて会見がセットされ、質問の順番と内容は官邸記者クラブの幹事社と官邸サイドで事前に調整して決めるのが慣例である。
会見では首相が冒頭、役人が書いた訪問の成果を棒読みに近い形でとうとうと読み上げる。これで会見時間のほぼ半分は潰れてしまう。この後に質疑応答に入るが、一般的には、まず幹事社が訪問の成果を、もう一つの幹事社がその時点で焦点になっている内政問題を、そして訪問国の有力メディアが両国関係などについて尋ね、これで計3問。仕切り役の官邸の役人が、質問するために挙手した記者に対し「では、最後にあと1問だけ」と言う場合もあるが、たいがいはここで「ちょうど時間となりました」。これが、まるで緊張感のない、外国訪問先での首相の内外記者会見の舞台裏である。こういうわけだから、会見の記事はいわば「出来レース」であり、どれを読んでも同じ内容のつまらないものになってしまうのだ。
◆「ambush記者」、小泉氏とわたり合う
極めてまれなケースだが、この会見に官邸詰め以外の記者がいきなり割り込んで質問し、官邸記者クラブと官邸サイドで事前に決めておいたシナリオ通りに運ばない時がある。通常なら、会見の壇上に立つ首相の手元には役人が書いた「応答要領」があり、事前に用意された質問に対し、それに沿って答えていれば安全運転で、問題発言は回避される。
要人とのインタビューでは、事前にセットされたもののほか「アンブッシュ(ambush)」と称し、待ち伏せていきなり奇襲する手法があるが、記者会見の場でもこうした勇敢な手法で、相手から思わぬ発言を引き出せることがある。
時は、2001年11月6日午後。場所は、ブルネイの首都バンダルスリブガワンの日本政府代表団の投宿先のホテル内にしつらえられた記者会見場。ASEANプラス日中韓首脳会談後の小泉純一郎首相(当時)の内外記者会見での一コマである。僕も応援取材のためバンコクから出張し、会見場の後方に座っていた。
内外記者会見は小泉首相の長い冒頭発言のあと、シナリオ通り、質疑応答に移り、挙手をした官邸記者クラブの幹事社の記者を仕切り役の官邸側の役人が事前の打ち合わせ通り指名し、1問目の質疑応答が無事に終わった。
ハプニングはその直後に起きた。記者席の最前列に座っていた、官邸記者クラブ詰めではない長身の記者がすっと手を挙げて、大きくはっきりした声で何度も「ハイ、ハイ、ハイ」と叫んだのだ。その勢いの前に、事前の打ち合わせでは2番目に質問することになっていたもう一つの幹事社の記者も、指名する官邸の役人もたじろいでしまい、その場の雰囲気に押されて、この飛び入りの記者の質問を受け付けざるを得なかった。
その時の、記者と小泉首相のやり取りの詳報が首相官邸のホームページ(http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/1106asean.html)に残っていた。一言一句正確ではないが再録しよう。
【記者】先ほどの話の中で、ASEAN重視ということをたびたびおっしゃっていましたけれども、そのASEANは中国と自由貿易協定を組むことで基本合意したと聞いています。交渉を開始するということですね。ASEANの中で、中国をどう捉えているかはともかく、中国とASEANとの関係が強まることは間違いないと思います。そのときに、日本はどのような立場になるのか、アジア統合の中で、日本が取り残されることになるのかどうか、更にこういうASEANと中国との関係強化について総理はどのようにお考えになるのか、日本はこれからどうするのか、その辺を具体的にお話し願いします。
【小泉総理】ちょっと自虐的な見方が、日本の新聞には多いと思います。日本が取り残される、その心配は全くありません。今日の日本とASEANとの会合でも、各国首脳から今までの日本とASEANとの関係、日本の協力について高い評価と感謝の言葉を率直に述べていただきまして、私も心強く思いました。中国とASEANの関係が深まることは日本も歓迎します。日本が取り残されるとか、日本がASEAN諸国に快く思われていないのではないかというのは、あまりにも自虐的な、日本がやることは低く評価しようとする、日本のマスコミの悪い面ですね。そうではないと思います。日本というのは、本当にASEANから感謝されています。評価を受けています。二十数年間、総理がくるくる代わっても、日本のASEAN重視の姿勢は変わらないという評価を受けている。非常に心強く思いました。これまでのASEAN重視の基本姿勢、間違っていなかったなと、これからもその国に必要な協力を日本は行っていきたい。多国間協力、日中韓、日本・ASEAN間、この協力を今後とも今までの基本方針というもの間違っていなかったと、この基本方針どおり進めていきたいと。余り日本はダメだダメだと思わない方がいいんではないかと。
【記者】日本ではなくて、なぜ中国になったと思いますか。
【小泉総理】それは、日本との関係は、今まで大変友好的であります。中国との友好関係を持つということは、日本も歓迎したいと思います。
【記者】ですから、なぜ中国になったと。
【小泉総理】それぞれの国も各国との友好関係を増進していくというのは、当然だと思います。(以上が再録部分)
◆日本の「ASEAN重視」は本物か
このやり取りは、実に12年前のことである。中国は当時すでに、ASEANとの自由貿易協定(FTA)締結に向けた積極的なアプローチを進めていて、われわれASEAN加盟国域内に駐在していた日本人記者は、日本は明らかに後手に回っていると肌で感じていた。この質問は、官邸詰めの同行記者では思いもつかない、仮に思いついても正面からは言えない内容であった。
この時点ですでに、中国の対ASEAN経済外交攻勢は始まっており、これまで日本はずっとASEANの中では中国に次いで2番手の域外集団の座に甘んじてきた。以来、ASEANと域外の構図は何も変わっていない。日本は本当にASEANを重視してきたのか。その問いの「解」となるのが、現在の状況である。小泉首相は12年前にブルネイでの内外記者会見で「ASEANは日本のASEAN重視の姿勢を評価している」と胸を張ってみせたが、果たしてそうだったのだろうか。きちんと対応をしていれば、ASEANを舞台にいまになって中国を牽制する必要などないはずである。
本稿の冒頭で、安倍首相が就任1年の間にASEAN10カ国をすべて回り終えたことを各紙が評価していると指摘したが、報道各社の認識には甚だ疑問である。読売は19日付の社説の中で「(安倍)首相がラオスでの記者会見で『ASEANの成長なくして、日本の成長もない』と語ったのはもっともだ」と指摘しているが、首相の言葉も社説の評価も白々しく思える。「○○の成長なくして、日本の成長もない」という言葉は歴代の首相らが使い古した甘言で、ASEAN加盟各国の首脳の胸に強く響きわたる言葉とは思えない。
こうした時代遅れの世論形成の一因は、日本政府サイドの主張を鵜呑(うの)みにしてしまう官邸記者クラブ詰めの記者や、「内外記者会見」とは名ばかりの官邸主導の一方的な刷り込みにあると思う。
12年前のブルネイでの「ambush記者」の質問は、現在のASEANと日中の構図を予見したような内容の鋭さもさることながら、小泉首相から「自虐的」という言葉を引き出した点でも特筆に値する。
詰め将棋のように3度もたたみかけるように理詰めで質し、いまや「原発ゼロ発言」で脚光を集め、自らの手で「劇場」の第2幕を上げた小泉氏の顔面を紅潮させ、たじろがせたのである。
僕の記憶では、このやり取りの部分の首相官邸ホームページの詳報は必ずしも正確ではなく、記者の質問は言葉も語気ももっと荒かったし、小泉首相の答えも「自虐的」という言葉がもっと強調され、内容もこの詳報以上にかなり支離滅裂だった。
会見終了後に残った緊張感をいまも思い出すことができる。それほど印象の深い首相の内外記者会見だった。その後もたびたび同様の会見に出席したが、いずれも記者クラブと官邸サイドが事前に決めたシナリオから外れたものはなかった。
小泉首相に当時同行していた経済産業省の関係者は「中国とASEANのFTAについて小泉さんに事前に説明するつもりだったが、昼食などを挟んで時間がなかった。まさかあの場でいきなり質問されるとは思ってもみなかった」と、自らの失点を認めた。
官邸サイドも慌てた。しかし、その後の対応はといえば、首相の理論武装に時間を割いたのではなく、この「ambush質問」をした記者を警戒し、首相がASEAN加盟国域内で内外記者会見を開くたびに「次はどんな質問をされるご予定ですか。事前に教えていただけませんか」などと随分まぬけなことを尋ねていたという。想像するに、この記者と同じ会社の官邸詰め記者も「余計な質問をしてくれたもんだ」と、迷惑に思ったに違いない。
さて、ここまで書いてきた以上、あの舌鋒(ぜっぽう)鋭い小泉氏をたじろがせた「ambush記者」の正体を明かさねばなるまい。いま「ニュース屋台村」で編集主幹を務める山田厚史、その人である。
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