「新しい判断」は政治ではなく、いじめの温床
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第80回

6月 10日 2016年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャローム所沢施設長。ケアメディア推進プロジェクト代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆「新しい判断」とは

安倍晋三首相が消費税率10パーセントへの引き上げを2年半再延期する決定を「これまでとは異なる新たな判断」という説明をどう解釈すればよいのだろうか。1年半前に増税延期を説明した際には「再び延期することはないと断言いたします」の約束への説明を避けて、判断の問題とするトップリーダーの見識を、どう受け入れればいいのだろう。

「新しい判断」とは、弁証法の中で語られるものだと考えてきたが、今回はそうではないらしい。批判に終始したくないとの思いを深めれば深めるほど、戸惑いは消えない。

発言から私は、双極性障害と診断された50代男性の聴き取り記録を思い出していた。幼い頃のいじめの記憶である。人の心を踏み潰す卑屈な子供の行動は、彼にとってはトラウマとなり、それを抱えて生き続けなければならなかった。誰も責められずに生き続けなければいけないこの不条理から見えるのは、寂しい心の風景。安倍首相の説明は、その被害者をつくっているように思えてならない。

◆取り上げられた宝物

聴き取りによると、男性は埼玉県に生まれ、母親と弟の3人で暮らしていた。父親はいたが、めったに家に帰らない特別な存在。今思えば、父が家にいないことはとてつもなく寂しかった。父がいてほしい、父がいると母も元気になっているような気がする、とも思った。埼玉から静岡に引っ越した小学生低学年の頃、クラスのいじめっ子にいじめられた。いじめっ子には2人の子分がいて、いじめグループに蔑(さげす)まれながら、「見返してやりたい」という思いが募った。

ある日、父親が珍しく在宅してプラモデルの宇宙船を作ってくれた。当時宇宙船は子供の間でブームになっており、完成した宇宙船は子供にとっては宝物。父親は「絶対持ち出してはだめだぞ」と諭した。家には父がいる、そして「宇宙船がある」。この高揚感に「見返してやる」と企図しようとする子供の心が制御されるはずはない。いじめっ子に「家に宇宙船があるよ!」と話してしまった。

こうなると、当然いじめっ子は「見せてみろよ」となるのだが、その対応は考えていなかった。見せることも出来ないし、持ち出しも出来ない。ためらう彼に「ないなら、うそだな」と恫喝(どうかつ)。結局父親がいない時を見計らい、禁断の「持ち出し」を実行することになる。持ち出して見せたのは、河原だった。

自慢げに宇宙船を見せる。いじめっ子らはひとしきり宇宙船をうらやましそうに見た後、仲間同士でこそこそと話し始め、彼に向かって「あっちの方にヘビがいるから見に行ってみて」と指示した。彼がヘビを見に行って元の場所に戻ると、いじめっ子らは宇宙船を自分のものにしていた。「返して」という彼に返って来た答えは「どこに名前書いてあるんだ? これは俺のだ」。明白な乗っ取り、収奪。彼は泣き寝入りするしかなかった。

それ以来、彼は病的にうそや不正義が大嫌いで、反吐(へど)が出るほどの拒否反応を示してしまうこともあり、その結果警察沙汰になったこともある。

◆マイノリティー視点

無邪気な子供、と思いながら、やはりいじめっ子の行動は邪気を含んでいる。狡猾(こうかつ)である。安倍首相の記者会見の説明から、この話を想起してしまうのは、納得できない説明を押し通そうとする意図が一緒で、邪気に自覚がない怖さを同一視してしまうからだろう。

消費税引き上げ分を社会保障費に充てるとの約束を反故(ほご)にされたことは、社会保障を受けるべき高齢者や子供、障害者やマイノリティーなど「非生産者」と位置づけられる人からの失望が根強い。生産者を活性化させ、収益を非生産者に回す、という社会構造の固定化が進む印象もある。それは生産者中心の思想であり、この思想を絶対視できるから「新しい判断」が可能となるのだろう。

こうなると、憲法の生存権の思想は置き去りにされ、マイノリティーの当事者意識からはかけ離れていく。宇宙船を取り上げられた彼は、現在もマイノリティーとして、狡猾なうそに翻弄(ほんろう)され続ける。持たざる者は為政者のうその犠牲になっていく。議論をせずに判断してしまうことを政治とは呼ばないのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

関連記事は以下です。

当事者の声を聴けない為政者たち
http://www.newsyataimura.com/?p=5286

■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link

■引地達也のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/

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