『敗北を抱きしめて』——占領による近代主義の受容(1)
『視点を磨き、視野を広げる』第13回

1月 15日 2018年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

◆はじめに

年末年始にかけて、企業経営者の新しい年への抱負が雑誌や新聞をにぎわすのが恒例だ。大企業経営者に共通するのは、「グローバル競争は激化している」「世界中のあらゆる産業で起きている革新の波は止められない」という現状認識だ。この背後には「社会は進歩する」「技術革新は人間を幸せにする」という思想がある。そして、日本が世界と戦っていくためには「変わらなければならない」「社会の進歩を創造する側に回らなければならない」という結論が導かれる。こうした考え方は、現代のグローバル資本主義の基底にある合理主義と科学技術の無限の進歩への信仰という「近代主義」思想にもとづいている。

現在の日本は多くの問題を抱えているが、それはグローバル資本主義が、さらに言えば「近代」が生み出したものではないかという問題意識をもって、過去12回にわたって論考を進めてきた。日本が直面する問題を整理すると、経済においては、リフレ政策の限界と出口政策の困難さ、雇用の不安定化と格差の拡大、低成長、財政問題などである。文化においては快楽主義への傾倒や社会における伝統的共同体機能の喪失、政治においては、多様化する「民意」に右往左往する政治への国民の不満と不信であろうか。

こうした日本社会の問題の多くは、資本主義と民主主義という制度に内在するものであり、日本だけではなく先進国共通の問題である。現在、トランプ現象や英国のEU(欧州連合)離脱など世界的規模で、資本主義の行き詰まりと民主主義の限界が顕在化している。資本主義と民主主義はヨーロッパに始まった「近代」が生み出したものだ。これが、現代の危機の本質は近代主義の行き詰まりにあるととらえるべきだと考える理由である。

日本の「近代」は、150年前の明治維新を画期とする。ヨーロッパからの「近代」の導入である。成功したかに見えたその試みが、70数年後に敗戦によって終焉(しゅうえん)を迎えた。廃墟から再生を期した日本は、今度は戦勝国である米国から「近代」を導入し、再び70数年が経過した。しかし、冒頭にあげた財界人の発言は、世界と戦うには、さらなる近代主義の徹底が必要だと言っているのである。これはビジネスの世界の現実であるとしても、それが私たちの「生」をのみ込んでいくのではないかという恐怖感にとらわれることがある。近代主義の徹底が足りないから問題が起きているのか、それとも近代主義そのものに問題があるのかと常に自問することが、現代に生きる私たち一人ひとりにとって大切なことではないだろうか。

前々稿『日本の近代とは何であったか』(第11回)では、明治維新を契機とするヨーロッパからの「近代」導入が日本に何をもたらしたかを見たが、本稿では、敗戦後の米国からの「近代」の受容は、どのようなものであったかを探りたいと考えている。そのための指針として米国の歴史学者であるジョン・ダワー(*注1)の『敗北を抱きしめて 上・下』(岩波書店、2004年)を取り上げた。この本は、今まであまり意識してこなかった占領期を学ぶためには最適な本だと思う。なぜなら、同書は、占領期を政治、経済、文化といった日本社会の幅広い分野のさまざまな階層の人々の視点を通じて、良い面も悪い面も公平に描いているからであり、また著者が米国人であり占領側からの視点や情報に詳しいことから客観性が高いと思われるからである。

本稿では、まず近代主義を定義し、敗戦から占領にかけての日本の状況を整理したい。次稿では、本書に沿って占領期をいろいろな角度から把握した上で、近代主義の受容としての占領を総括したい。この試みを通じて、近代主義の行き詰まりに直面して混迷が増すこれからの世界を、私たちがどう生きていくかの手掛かりをつかめればと考えている。

◆近代主義とは何か

始まりは産業革命だ。それは18世紀の中頃にヨーロッパで起こり、経済、政治、文化といった社会構造そのものの変革を伴う、まさに「革命」であった。「近代」という概念の始まりであり、ここでは近代化を推進した諸々の考え方を「近代主義」思想と呼ぶ。

「産業化」とは、「産業構造が農業中心の社会から工業中心の社会に変わること」であり、生産能力の飛躍的増大を通じて富の蓄積を可能とした。その結果、それまでのどの時代にもなかったことを実現した。一部の支配層だけではなく全ての人々に恩恵が行き渡ったのであり、人類史上初めて「一人あたりGDP(国内総生産)」が増加し始めたのである。この現象は、現在に至るまで続く経済成長の時代の始まりであった。こうして「豊かな社会」が誕生した。また、社会学的には「大衆」という概念が生まれ、「大衆社会」が出現した。近代主義文化は、宗教や社会的な規範に代わって個人を価値判断の中心におくことで、人々を慣習の軛(くびき)から解放した。「自由」を権利として獲得したのである。このように近代主義の理念は自由と平等であり、合理主義的思考を特徴とする。合理主義は科学と工学を生み出す基盤となり、産業化の推進に寄与した。

こうして形成された「近代」は、経済においては資本主義、政治においては民主主義、文化においては個人主義を基本とする。経済、政治、文化は各々独立した領域であるとともに、3者が融合しあって社会が形成される。しかし産業化の著しい進展によって、資本主義が求める合理主義は、社会的慣習を破壊することで人々を自由にすると同時に、伝統的な心のよりどころを奪っていく。また、利益の極大化を求める資本主義は、国境を超えて新しいフロンティアに進出していく。資本主義とグローバリズムが合体すると帝国主義となる。ヨーロッパの帝国主義諸国間で植民地獲得競争の時代が始まる。その中から戦争のために国民全体の参加を要請する国民国家の形成にいち早く成功したオランダ、続いて英国が世界の覇権を握る。日本は19世紀半ばに帝国主義列強の脅威に直面したことで、体制を変革して「近代」を導入する。その後、グローバル資本主義の自律的運動と民主主義(国民国家)を母胎として生成されたナショナリズムは、2度の世界大戦という惨禍に行き着くのである。

第2次世界大戦の最大の勝者となった米国は、戦後、国内において資本主義と民主主義を基盤とする「豊かな社会」を実現した。旧世界であるヨーロッパで生まれた近代主義は、新世界である米国に移植されて純粋培養された。ヨーロッパ人は近代主義の偽善的側面に対して「懐疑」するという歴史の厚みからくる懐の深さを持っていたが、旧(ふる)いヨーロッパから逃れて「生存、自由、幸福の追求は権利」であるという理念の実現を目指して独立した米国は、近代主義の理想は実現可能だという強い信仰をもっていた。敗戦国日本にとって、間近に見た米国は豊かさに輝き、理想への確信からくる自信に満ちあふれた存在であり、まぶしく映ったに違いない。

◆戦争末期・敗戦時の状況

占領期を考察するにあたって、戦争末期から敗戦にかけての日本国内の状況と国際情勢がどのようなものであったかを知っておく必要がある。以下整理しておきたい(*注2)。

● 戦争末期の状況

・原料・資材・食料の多くを海外植民地に依存していたが、制海・制空権を失うことで移入が困難となり原料・資材・食料の不足が深刻となった。

・大量の兵力が動員され(ピークで720万人、延べで1千万人。1944年の人口は約7500万人なので男子の4分の1が戦争に参加した)、労働力が不足し、原材料不足も重なって生産が急減していた。

・労働力不足は農村も同じで、1945年には食糧供給が危機的状況にあった。

・本土爆撃が本格化したのは、サイパン陥落によって大型爆撃機による効率的な空襲が可能になった1944年11月以降である。焼夷(しょうい)弾を使った都市部の無差別爆撃によって主要都市は焼け野原となり、多くの非戦闘員が犠牲となった。

● 戦争終結への動き

戦況悪化を背景に反東条派が盛り返し、1944年7月東条内閣は総辞職した。後継の小磯国昭(陸軍大将)内閣は何も出来ないまま倒れたが、1945年4月鈴木貫太郎(海軍大将)内閣が成立して和平への動きが活発化する。同内閣の下で、同年8月にポツダム宣言を受諾して戦争は終結した。

当時の指導層の最大の関心は、「国体護持」すなわち天皇制の維持が可能かどうかにあった。敗戦必至となっても、和平への動きがなかなかまとまらなかったのは、国体護持の保証を得たかったためであった。しかし、原爆投下とソ連の参戦もあり、結局無条件降伏を余儀なくされたのである。したがって、占領が始まった時、天皇制が維持されるかどうかが、日本の指導層にとって依然として最大の関心事であった。

● 国際情勢(連合国の動き)

第2次世界大戦は、第一義的には帝国主義諸国間の石油と植民地と巡る戦争であった。ここにファシズムの枢軸国(日独伊)とその侵略に対する反ファシズム連合国(英米ソ中など)の戦いという構図が加わる。連合国は、「共同宣言(1942年1月)」で戦争目的を、「生命・自由・独立・宗教的自由を擁護し……人権および正義を擁護するため」とした。大義名分において優位に立っていたといえる。また、第2次世界大戦は、日本に対する中国の戦いのように民族解放闘争という性格も有していた。これらの要素のどれを重視するかは、政治的立場と時代環境の変化によって異なるが、「自由・独立・正義の戦い」に勝利したヨーロッパの旧宗主国が、戦後再びアジア植民地を支配しベトナムやインドネシアの独立運動を弾圧したことを見れば、ヨーロッパのダブルスタンダードは明らかだ。

連合国は、大戦中から戦争終結後の世界について協議を始めていた。米ソのヤルタ会談(1945年2月)では米英ソの首脳がドイツの戦後処理とともに、ソ連の対日参戦で同意を見た。同年5月のドイツ降伏をうけ、7月の米英ソ首脳会談で日本の無条件降伏を要求したポツダム宣言が出された。しかし、日本側はソ連による和平交渉仲介に期待しており、宣言に対して積極的な働きかけを行わなかった。

この時点では、戦争終了後の米ソの対立が予想されており、米国はソ連参戦前に日本に降伏圧力をかけるために、急きょ原爆を使用したとされる。日本政府の動きは鈍く、原爆投下とソ連の参戦によって、ようやくポツダム宣言を受諾するのである。

● 敗戦・戦争による被害

日本は敗戦を受け入れたが、戦争によって壊滅的な打撃を受けていた。

・戦争による陸海軍兵士の死者は約200万人、これに加えて空襲、原爆、沖縄戦などで亡くなった非戦闘員が約100万人で、合計300万人の人命が失われた。

・敗戦時には約650万人の日本人が海外におり、このうち300万人が女性子供を含む民間人であった。彼らの帰国は、現地の混乱もあって困難を極め多くの悲劇を生んだ。

・戦災被害にあった住宅は約310万戸、約1500万人が家、財産を失った。

・海外領土、資産の全てを失った。

また、日本と戦った中国の被害はさらに甚大で、戦死傷者560万人(1937〜43)、一般民衆の死傷者約200万人とされる。

◆占領の開始

このように戦争末期から敗戦にかけての日本の状況は、惨憺(さんたん)たるものであった。そこから占領は始まったのであるが、敗戦の混乱により国民の生活状況はすぐには改善しなかった。特に国民を苦しめたのは、飢餓とインフレであり、占領期を理解するために必要だと思われ、以下整理した(*注3)。

●  飢餓

既に見たように食糧不足は、戦争中から深刻化していたが、敗戦によりアジア植民地からの食料移入が止まり、天候不順、労働力不足による収穫量の激減(例年の40%減)により危機的状況となった。配給はあったが生存水準には足りず、闇市と農村への買い出しが人々の生活をかろうじて支えていた。米国からの食料輸入によって危機的状況は脱したが、最悪期は1950年ごろまで続いた。敗戦から5年ほどは、生存していくだけで精いっぱいの状態であったことがわかる。

● インフレ

インフレは、国民生活に深刻な打撃を与えた。原因は、戦後の生産再開を急いだため、軍需工場や政府調達品に対し戦時補償として損失を補償したこと、日銀の市中銀行への貸出急増(銀行は企業につなぎ融資を行った)により通貨供給が増えたためとされる。インフレは激しく、インフレ率は1945年から49年に約70倍、戦前期の1934・36年と45年比較では220倍でハイパーインフレと呼べるものであった(*注4)。

また、為替の下落も激しく、1940年1米ドル=4.2円台であったが、1949年に1米ドル=360円と約90分の1に減価した。政府・日銀はインフレ鎮静化のために1946年2月に物価統制令、預金封鎖、財産税創設、新円切り替えなどからなる金融緊急措置を実施したが、効果は不十分であった。インフレは1949年のドッジ・ライン実施によってようやく収束に向かった。

なお、敗戦によっても日本政府は、政府債務を踏み倒さなかった。国債もデフォルトを回避し償還した。財源調達のために政府は、財産税をかけて主に預金などの金融資産から税金をとった。まず預金封鎖を実施し、タンス預金をさせないように新円切り替えを行っている。ただし、国債を償還できたのは、インフレの影響も大きかった。話は少しそれるが、現在の政府債務を巡る議論で「日本国債は国内で保有しているので償還は大丈夫」という意見がある。敗戦後の政府は国債を全額償還したが、徴税権を行使して預金に財産税をかけて財源にしている。さらに激しいインフレが同時並行的に進行したことで償還が可能になった。財産税もインフレも被害にあったのは国民である。他国の歴史を見ても、巨額の政府債務は、インフレと増税によってしか解消されないことを忘れてはいけないと思う

このように壊滅的状態にあった日本が、豊かで民主主義の理想に燃える米国に占領された。しかも米軍は、マッカーサーというカリスマに率いられてやってきた。敗戦を境にした日本の近代主義の受容は、物質的にも精神的にも弱体化した日本と、戦いに勝利した強い米国という構図から出発した。しかし、やがて日本は積極的に近代主義の信者となって戦後体制の原型を形成していく。それはなぜなのかを次稿で考えていきたい。

<参考図書>

『敗北を抱きしめて(Embracing Defeat)上・下 増補版』(ジョン・ダワー著、三浦陽一・高杉忠明訳、岩波書店 2004年〈初版は2001年、原書出版は1999年〉)

(*注1)ジョン・ダワー(1938〜):歴史学者(日本近代史)、マサチューセッツ工科大学名誉教授。本書によりピュリツァー賞を受賞した。

(*注2)『昭和史』(遠山茂樹他著、岩波新書、初版1959年、新版2013年)、『いっきに学び直す日本史 近代・現代実用編』(安藤達朗著、東洋経済新報社、2016年)を参考にまとめた。

(*注3)同上

(*注4)数字の出所は『戦後ハイパーインフレと中央銀行』(伊藤正直著、日本銀行金融研究所、2002年)。

※『視点を磨き、視野を広げる』過去の関連記事は以下の通り

『日本の「近代」とは何であったか―—問題史的考察』(5)「総論」
http://www.newsyataimura.com/?p=7010#more-7010

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