タイの「イタイイタイ病」
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第79回

10月 07日 2016年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住18年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

鉱山の事業所から排出された廃水に含まれていたカドニウムが人体に深刻な影響を与えた公害病の一つに「イタイイタイ病」がある。富山県の神通川下流域で発生した公害である。1910年代から70年代にかけて多発した。病名の由来は患者が「痛い、痛い」と泣き叫んだことからだと言われている。

多くの人に被害をもたらした日本のイタイイタイ病に対し、タイにも違った形の「イタイイタイ病」が存在する。タイの駐在員やその家族など、タイに住んだことがある人の多くがタイを離れるにあたってタイに「居たい、居たい」と強く思うことから、こうした名前が付けられた。日本のイタイイタイ病の患者の方達から見れば不謹慎なテーマかもしれないが、今回はこのタイの「イタイイタイ病」について考察することをお許しいただきたい。

◆「タイにいたい」理由

私はタイ在住19年目になるが、私の周りにはタイに住みついた人がいっぱいいる。若い時からタイに移住し、現在立派に仕事をされている方。一流企業の社長、幹部としてタイに赴任され、その会社を定年退職されたあとタイで新たな職を求められた人。定年退職後、タイに移住しないまでも年の半分近くはタイで過ごされるという方もいる。

かくいう私もタイに19年もいるからしっかり「イタイイタイ病」の患者だと思われているに違いない。しかし私などまだまだ“ひよっこ”である。タイ在住50年などという方々も珍しくないのだから。

タイに住んだことがない人達は、「タイにいたい」と言う人達を見ると、大半のが「タイ人女性が目当て」だと思われることであろう。確かにタイ人女性の優しい微笑や柔らかい口調に引かれる男性も多くいる。最近の日本ではあまり見ない女性像なのかも知れない(私自身は日本で女性と接する機会が少ないので良く分からないが……)。

またある方は「タイはゴルフが安く、いつでも出来るからうらやましい」とも言われる。しかしタイに長期滞在される日本人の目的が「女性」や「ゴルフ」かと言えば、決してそうではない。奥様帯同でタイにおられる方も沢山いれば、ゴルフをやられない方も多い。私自身もこの19年間ほぼ一貫して妻帯同であり、この10年間はゴルフもあまりやらない。

そもそも私が、このタイの「イタイイタイ病」について考えるようになったのは、9月に日本に行った際に起こった事件がきっかけである。出張で日本に戻った私は、たまたま用事で日本に来られていたタイの財界人であるBさんと週末に、彼の富士山の別荘に行った(Bさんの不動産購入の経緯については「ニュース屋台村」2016年6月3日号「タイ人Bさんの日本での不動産購入」を御参照下さい)。Bさんは3月に別荘を購入後、今回が3回目の別荘訪問である。朝9時前に新宿駅で待ち合わせ。今回は電車を使って意気揚々と別荘に向かった。

◆電気供給ストップのトラブル

2カ月ぶりの別荘訪問であり、別荘の状態を心配しながら鍵を開けて家の中に入ったが、別荘はきれいに保たれている。別荘管理会社に3カ月ごとの内部清掃をお願いしていたが、きっちりと清掃をしていただいているようである。庭もあまり雑草が生えておらず、週末はゆっくりと過ごせそうである。ちょっと安心した。

そこで電気をつけようとしたところ、何と電気がつかないのである。ブレーカーなどをチェックしたが特に問題がない。私は慌てて別荘管理会社に電話をした。すると別荘管理事務所の人は、「前回掃除にうかがった者が、電気が切られていることに気づき、電力会社に連絡を取ったが、個人情報だからといって電力会社からは何も教えてもらえなかった」と話してくれた。ひょっとしてと思い、郵便箱を確認すると4月と5月分の電気料金の請求書がある。どうも電気料金未納で電気を切られたようである。

ところがBさんに確認してみると、電気代は既に口座振替になっているという。事情がよくのみ込めないため、早速電力会社に電話をすることにした。電力会社でこの件の担当者を探しあてて事情を聴いてみると、以下の事がわかってきた。

4月、5月分は口座振替が間に合わなかったため、郵便で別荘宛てに請求書を送付したが、結果的に8月まで支払われなかった。このため、留守宅として登録されているBさんの代理人であるKさんに電話をして電気料金を請求したが、Kさんが海外出張中であったため、8月の期日より数日遅れて支払われた。しかし別荘の電気は支払い日の2日前に切られてしまった。6月分、7月分の電気代の支払いは口座振替の形式で、6月分は電気の供給のストップ前に、7月分は電気の供給のストップ後に電力会社に支払われていた。

別荘購入後、口座振替による電力会社への支払い時期がずれたことに起因するトラブルであった。別荘であるがゆえに、電気の供給が停止されていたことに今まで気づかなかったのである。

早速私は電気供給を回復するようお願いした。ところが「電力を復旧させるためには新たに契約を結び直さなければいけない」と、この担当者から通告されたのである。すでに電力料金の未納分はすべて払われているし、一方的に電気を切ったのは電力会社である。なぜ契約を結び直さなければいけないのか私は合点がいかなかった。

この担当者は留守宅に電話した際、「電力の復旧作業の方法についてはKさんにお話ししていませんでした。申し訳ありません。でも規則で新規契約が必要となっているのです」と自分の非を認めながら、私に懇願してきた。電気を切った後も口座振替や銀行振込などでこの会社はBさんから料金を受け取っているのである。担当者では異例の扱いが出来ないというので、電力会社の料金徴収課の責任者に代わってもらった。

するとこの責任者は突然、「電力会社が電力を切断した際にはBさん宛てに通知書が送付され、その中に新規契約が必要な旨書いてある」と言いだした。少なくとも電気切断前の7月分の料金を引き落としていながら、電気切断という重要な事項を普通郵便だけ通知してくるというのも非常識である。担当者は「電気復旧の詳細方法についてKさんに話していない」とその非を認めているのである。しかも電力会社からの通知書は別荘には来ていない。

別荘管理事務所の人も立ち会いで郵便物を確認してもらった。するとその責任者は「その通知書は留守宅のKさんに送った」と言う。私はらちが明かないので、Kさんからその責任者に連絡を取ってもらった。Kさんもこうした通知を受け取っていないとその責任者に言うと、何とその人はKさんに対しは「通知書は別荘に送った」と平気で二枚舌を使い言い逃れしたようである。

私としてはこれ以上何とも仕方がない。電気が復旧しただけでも良しとするしかないのであろう。自分の別荘の件で血相を変えて電話をしている私を見て、別荘の主(あるじ)であるBさんは「電気が復旧して本当に良かった。タイ人の私一人では何も出来なかった。本当にありがとう」と言って、私をねぎらってくれた。

◆自分たちの居場所がない

後日、この話をBさんと私の共通の友人である経済産業省の役人であるAさんにお話しした。するとAさんからは意外な言葉が返ってきた。「事情はわかりました。しかし小澤さんがタイにいる20年の間に日本も変わったのです。日本全国クレーマーだらけで、こうしたクレーマーに対応するためには、電力会社側も非を認めてはいけないということになっているのでしょう。責任者といえどもマニュアルどおりにしか行動しません。さもなければコンプライアンス違反になるからです。日本はすっかり柔軟性に欠ける社会になったのです。こうしたことにびっくりされるようでは、小澤さんはもう日本で暮らすのが難しいということですかね」

この言葉に私は強烈なショックを覚えた。私は自分で意識しないうちに「イタイイタイ病」に冒されているかも知れないのである。

私はタイに赴任してからも日系企業取引を担当していたため、常に日本人の方と話をしている。また年に3、4回は日本出張で全国各地をまわってきた。日本の人達との感覚のずれをなるべく少なくするよう努力してきたつもりである。タイに暮らすのはたまたまバンコック銀行に採用してもらったからであり、退職後は日本に戻るものだと疑ってもいなかった。

1週間の日本出張を終えタイに戻ると早速、私はタイに長期在住される友人、知人達にタイに住み続ける理由を聞いて回った。10人以上の方にお話を伺ったが、二つの理由に集約されてきた。

最初の理由は「タイには仕事・職・やることがある」ということである。日本では50代、60代になると職を見つけるのが極めて難しいが、タイでは日本より容易に仕事を見つけられるというのである。私の知人・友人達はタイでの仕事の経験があり、タイ語が出来たり、タイ人との人脈を持っておられたりする方ばかりである。こうした方々にとってタイで仕事を見つける方が簡単なのは、ある意味当然なのかも知れない。一方で、日本では高齢者が働き口を見つけにくいという厳しい事実も見えてくる。

二つ目の理由は、「日本にいても面白くない」「日本の老人クラブに入りたくない」「タイ人を含めて友人がタイにいる」などというものである。「同窓会などの集まりに出ても、年齢・病気・孫の話しかせずちっとも面白くない」と語られた方が何人もおられた。私のまわりには70代の方達も沢山おられるが、いまだに現役で仕事もされており、気持ちも若い。「何かを成し遂げたい」という夢を持っておられる方達が多いのである。こうした人達にとって閉塞感あふれる日本は「同志」もおらず、住みにくい社会となってしまったのであろう。日本には自分たちの居場所がないと感じられているのである。

皆さんからお話を伺っているうちに、私も立派な「イタイイタイ病」患者だと思わざるを得なくなってきた。バンコック銀行退職後は日本に帰るものと決め付けていた私であるが、日本に帰る場所があるのか分からなくなってきてしまったのである。今回の事件で、退職後の生き方について真剣に悩み始めることになった。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
■第70回 タイ人Bさんの日本での不動産購入(2016年6月3日号)
http://www.newsyataimura.com/?p=5549#more-5549

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