小乗仏教(上座部仏教)の国:タイ
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第96回

6月 16日 2017年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住19年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

日本人は「外交下手」といわれる。その大きな要因の一つとして、日本人は「自分達以外の考えや感覚を持った人たちがいる」という事実を認識出来ていないことがある。「世界のほとんどの人が自分達と同じ考えをする」と勘違いするから、自分達の立場を明確に言葉に表さない。相手から理解されないのである。また、交渉ルールの世界的規範が「勝ち負け」なのにもかかわらず、日本だけが「正義」である。相手国と「勝つため」に交渉するのであれば、相手国の歴史、民族の特徴、文化、宗教、政治の状況などを研究し交渉に望まなければならない。このことは国同士の交渉だけに限らない。企業の海外進出についても同様である。

しかしながら、ほとんどの企業ではこうした意識もないまま日本人駐在員を派遣する。タイで働く際に、タイ人を部下として使っていく上で、タイ人を知ることはきわめて重要である。今回はタイ人の考え方を知るために、国民の95%が信仰するといわれる小乗仏教について述べてきたい。

◆「許容度の少ない宗教」

日本の仏教は大乗仏教である。この大乗仏教では「すべての人が仏になることが出来る」きわめて寛容な宗教である。宗派によっては、悪人も罪人も宗教に熱心でない人も皆救われる。私個人の話をすると、若い頃ははキリスト教信者であった。幼少の頃から毎週日曜日は教会のミサに行き、土曜学校も欠かさず通った。

キリスト教の教義は良くわかっていなかったが、キリスト教の教えが倫理として私の体内にしみついている。キリスト教では、神は絶対であり、人間はその人生の過ごし方によって神に裁かれるのである。私たち人間が神になることなど絶対にありえない。私達は永遠に救われない存在である。私が学生時代に友人にこの「救われない」という言葉を発した時、その友人が怪訝(けげん)そうな顔をして、「何が救われないの?」と聞いてきたことが私の強い思い出になっている。そうか、日本人にはこの「救われない」という感情がないんだ。自分の感覚が他の日本人と違うと気づかされた瞬間である。

ところが「人間が神になれる」などという寛容な宗教を信じてるのは、日本を含めごく一部の国であり、世界の太宗は「厳しい神」をもった「厳しい宗教」である。ましてや日本人が平気で使う「無宗教」という言葉は「神への冒涜(ぼうとく)」であり、「宗教を信じる人達への冒涜」でもある。私が最初に米国に赴任した1980年当時、通っていた大学で他の日本人学生が「私は無宗教だ」と発言した途端、アメリカ人に一斉に軽蔑の眼で見られ、それ以来変人扱いされたのを覚えている。昨今では欧米でも「無宗教」を名乗る人が出てきているようであるが、よほどの覚悟が必要である。

さてタイ人の宗教である小乗仏教だが、この呼び名は「許容度の少ない宗教」という意味での大乗仏教からの蔑称(べっしょう)であり、正式には「上座部仏教」と呼ぶ。このため、本稿でもこれ以降、「上座部仏教」を使うこととする。

この上座部仏教は大乗仏教と源流は同じであるが、仏教発祥の地である「インドの世界観」をより強く残している。インド人が考えた宇宙の構成は、メール山という山を中心に全部で九つの山が3列ずつ縦横に位置し、メール山を囲む八つの山と山の間に海が存在する。この山と海の外側に東西南北に四つの州が存在する。この一つの州に人間が存在するのである。

メール山の山頂が天国、山や海の下に地獄が広がっており、これ以外の四つの州に人間、餓鬼、畜生、その他の生物がそれぞれ住んでいる。いかなる生物もこの六つの世界を輪廻(りんね)で行き交うのである。次の生でどこの世界に行くかは、業(ごう)と呼ばれる一生の間の「得」の積み上げに左右される。

◆「輪廻に基づく六つの世界をまわり続ける」

さて、こうしたインドの世界観の中で仏教の始祖であるゴーダマ・シッ・ダルーダ(以下、釈迦と呼ぶ)は何をしようとしたのであろうか? 釈迦の生誕年は諸説あるが、上座部仏教では紀元前624年から紀元前544年までの80年の人生であったと信じられている。

釈迦は現在のネパールであるマーサラ国ルンピニで、豪族の息子として生まれた。カースト制度により生まれた時から階級の定まっているインドにおいて、釈迦は司祭階級であるバラモンの次であるクシャトリア(騎士階級)に属していた。16歳で結婚して子供をもうけ、更に数人の側妻を持っていたが29歳の時に出家した。釈迦は当時の有名な仙人を訪ねたりわが身に痛みを与えるような苦行難行を続けたりしたが、35歳の時に独自の修行方法で悟りを開いた。

その後、釈迦は弟子を作りながら「悟りの方法」を伝道する。「四諦(したい)」とか「八正道(はっしょうどう)」とか、現在でも仏教徒であればなじみのある「悟りを開くための方法論」は釈迦自らが教えたといわれている。こうして釈迦は80歳で亡くなるまで布教を続けながら信仰者を増やしていった。

現在タイで信仰されている上座部仏教は、釈迦の教えを保守的に受け継いだ宗派である。人は出家し修行を積みながら悟りを開くことによりインド的宇宙観の外側に飛び出すことが出来る。「輪廻に基づく六つの世界をまわり続ける」という生き物の真理を超越するのである。

このような世界へ行くために、僧侶まずもって「バーティモッカ」と呼ばれる227条の戒律を守って生活をする。この227条の戒律のうち、最も厳しい罪が四つある。①性交をすること②盗みをすること③人を殺すこと④うそをつくこと――の四つである。僧侶がこの四つの大罪を犯すと、仏教界から追放となる。タイにおられる方ならよくご存知であるが、上座部仏教の僧侶は結婚出来ない。それどころか、227の戒律には女性に触れることや女性に言い寄ることなども禁止されている。

タイの葬式では、葬式の最後に謝礼を僧侶に渡す儀式があるが、女性の方はくれぐれも僧侶に触れないよう気をつけて頂きたい。また、僧侶は金銭にさわることも禁止されている。現代社会で金銭にさわらずに生活することは極めて難しい。このため、僧侶が外出する際は小僧が手伝いとして付き、金銭の世話をする。

上座部仏教の僧侶は「自分が悟りを開く」ためだけに生活を送ってる。夜が明けると托鉢(たくはつ)に出かける。私がタイに来た20年前には、バンコク市内で黄色の袈裟(けさ)を着た僧侶が托鉢に歩きまわる姿をよく見かけた。タイの民衆はうやうやしくひざまずき、食事などを僧侶が持つ壷に入れる。なんとも心洗われる光景である。

この托鉢について日本人が勘違いをしていることがある。「托鉢=人々が僧侶に対して施しを与えている」と思うのが日本人の考えである。これは真実の一面しか見ていない。インドは階級社会である。階級の上の人は階級の下の人が作った食事は食べてはいけない。このため、インドのレストランのコックはバラモン階級の人達だけである。

ところが、釈迦は悟りを開いたあと、同様に托鉢をして、民衆の食事を食べた。クシャトリアである釈迦がヴァイシャやシュードラの階層の人達の食事を食べることは言語道断である。これを釈迦はあえてやったのである。当時、仏教が広く民衆に支持された一つの由縁であった。

地位の高い僧侶が一般大衆の食事を食べてあげるのは僧侶から見て民衆への「施し」なのである。こうして僧侶は朝から托鉢に出かけ、その日の食事を確保するのだが、僧侶が食べ物を口にしてよいのは夜明けから正午までである。正午以降は一切食事をとることが出来ない。正午以降は瞑想(めいそう)をしながら悟りを開くための修行に入るのである。

これが上座部仏教のおおまかな姿である。上座部仏教はあくまでも「出家者」による「出家者」のための教えなのである。それでは一般の民衆はそうなのであろうか? 私はタイに来た当初、少し上座部仏教の勉強をした後「一般のタイ人はどのくらい仏教のことを知っているのだろうか?」と思い、つたないタイ語で多くの人に仏教のことを聞いてみた。すると驚くことに、タイの人たちは仏教のことを知らないのである。寺院を見れば必ず手を合わせ、僧侶に対して熱心に托鉢を行う。こんな信仰深いタイの人達が唯一知っていることが「五戒」(シン・ハー)である。僧侶に「227戒」があったように、在家の人達には「五戒」というやってはいけない五つのことがある。①人を殺すこと②盗みをすること③淫乱な行為をすること④うそをつくこと⑤酒を飲むこと――の五つである。今や「酒を飲まない」戒律などタイでは死語のようになったが、20年前のタイでは飲酒は悪者扱いされていたし、女性は全くと言っていいほど、酒を飲まなかった。

◆タイの仏教は二重構造

ここまで見てくると、お気づきかも知れないが、タイの仏教は二重構造となっている。民衆が信じているのはインドから影響を受けた「輪廻と業」の思想であり、次の人生でより良く生まれ変わるために「五戒」を守り「得を積む」ことに励むのである。得を積むために熱心にお祈りをし、僧侶に食事を差し出す。民衆にとって最高に「得を積む」ことが出来るのは「息子を出家させること」である。出家により息子のみならず、家族全員が恩恵をあずかる。このため、多くの若者たちは3カ月などの短期で僧侶になったりする。

「タイで男性が働かないのは、家族が出家をさせるために小さい頃からチヤホヤするからである」という説があるのも何となく納得できる。また犯罪者が出家をする話をよく聞くが、これも「自分の犯した罪を、出家によって帳消しにして良い来世をすごしたい」との安易な考えから来ているのはないだろうか? こう考えてくると、我々の知らないタイがたくさん見えてくる。こうしたことを理解することによって初めてタイ人との付き合い方がわかってくるのである。

【小澤仁 放談会のお知らせ】

来たる7月14日(金)午前9時30分より、「小澤仁 放談会」をバンコッククラブにおいて開催いたします。今回のテーマは「タイ人との付き合い方」です。「タイの歴史(国)」「タイ人の歴史(民族)」「華僑の歴史」「上座部仏教の教義」などを個別に解説し、タイ人華僑の考え方を分析します。申し込み要領は以下のとおりです。今回の「ニュース屋台村」の記事は講演内容の「上座部仏教」について、ほんのさわりを述べたものです。「小澤仁 放談会」に是非ふるって御参加下さい。

日 時 : 2017年7月14日(金曜日)
9:30開場 10:00 開演 13:00終演(予定)
場 所 : The Bangkok Club
Sathorn City Tower 28th Floor, South Sathorn Rd.
http://www.thebangkokclub.com/
テーマ: 『タイ人との付き合い方 ~
タイ及びタイ人・華僑・上座部仏教の歴史をふまえて ~ 』
会 費 : 2,000バーツ (ランチ付き)
定 員 : 40名様
なお、参加お申し込みは、バンコック銀行日系企業部と預金以外のお取引
(貸出、プロビデントファンド、貿易、iCash 等)のある企業の方に限定させて頂
きます。
お申し込み: ①御社名(ローマ字)②御名前③役職④電話番号⑤Emailアドレス ⑥バンコック銀行担当者名を明記の上、 japandesk@bbl.co.th 宛に、 お申し込み下さい。

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