『日本の「近代」とは何であったか―問題史的考察』(4)「天皇制」
『視点を磨き、視野を広げる』第10回

10月 24日 2017年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

◆はじめに―—「近代天皇制」と森友学園問題

『日本の「近代」とは何であったか』(三谷太一郎著)という本を道標に日本の「近代」への歩みを見ている。本書の四つの視点のうち、「政党政治」「資本主義」「植民地帝国」を終え、本稿では最後の「天皇制」について考えてみたい。

天皇制は、天皇を統治の構成要素とする政治体制であり、祭政一致の神権政治の古代天皇制、実質的権力を失い権威として存在した中世以降の天皇制、明治国家における「近代天皇制」、戦後の「象徴天皇制」と形態を変えながら続いてきた。歴史的には、古代天皇制を除いて実際の権力の主体とならず権威あるいは象徴として機能していた期間が圧倒的に長かったが、明治政府は、歴史的に特殊なシステムといえる「近代天皇制」をつくり出した。本書は、日本の「近代」が、「近代天皇制」をなぜ必要としたのか、それによってどのような問題が内在していたのかを分析のテーマとしている。

今年の前半にマスコミを騒がせた森友学園問題で、理事長が幼稚園児に教育勅語を唱和させるテレビ画像が流れていたが、本書ではこの教育勅語こそ「近代天皇制」に不可欠の要素であったとする。それはどういう意味なのか。本書の言わんとするところを以下見ていきたい。

◆「天皇制(日本の近代にとって天皇制とは何であったか)」の要点

●近代天皇制の誕生

日本の「近代」は、モデルとしたヨーロッパから「機能」を導入することで実現を企図した。新国家の設計者たる伊藤博文は、導入した諸機能を統合する「国家の基軸」というべき機能が必要であることに気づき、ヨーロッパにおいては宗教=キリスト教がそれを担うと考えた。しかし当時の日本にはキリスト教に匹敵する宗教は存在せず、伊藤は憲法起草にあたり、「国家の基軸」を皇室に求めた。天皇制はヨーロッパにおけるキリスト教の「機能的等価物」とみなされた。本書ではややシニカルに、「神の不在が天皇の神格化をもたらした」とする。

この結果、天皇制はヨーロッパの君主制以上に過重な負担(=宗教的機能)を負うことになった。日本のモデルとされたドイツ帝政では、中世以来の「聖」と「俗」との価値二元論を前提としていたが、天皇制では「聖職者」と「王」は一体化していたためである。

●教育勅語の意味

天皇を半宗教的絶対者の役割を果たすべき「国家の機軸」にすえたことは、明治憲法の条項と矛盾した。すなわち、憲法第1条では統治の主体としての天皇を規定しているが、第3条天皇の「神聖不可侵性」は天皇の非行動性を前提(故に政治的法律的責任を負わない)としているからである。そこで、憲法外で「神聖不可侵性」を体現する天皇の超立憲君主的性格を積極的に明示する必要があった。それが「教育勅語」である。「教育勅語」は、伊藤の制度設計の論理的帰結なのだ。

勅語は、宗教性と哲学性を徹底的に希薄化している。これは、宗教的対立に巻き込まないことを意図していた。また道徳の原作者を天皇の祖先「皇祖皇宗」に求めた(「遺訓」という形)。この結果、天皇は孔子のごとき位置づけとなった。「五倫(君臣義、父子親、夫婦別、長幼序、朋友信)」「五常(仁義礼智信)」といった儒教的徳目が列挙されたが、その理由は宗教的、哲学的根拠付けの排除により、道徳命題の普遍的妥当性を「歴史を通じて妥当してきたもの」に求めざるを得なかったからであり、それは「日用化した儒教徳目」しかなかったのである。

「教育勅語」と立憲主義の問題(立憲君主としての天皇と道徳の立法者としての天皇は両立しうるか)が存在した。例えば憲法28条「信教の自由」と対立しないかということであり、これを回避するため起草者である井上毅(1844〜95)は、教育勅語は天皇の政治的命令と区別し、社会に対する天皇の著作の公表とした。このため教育勅語は国務大臣の副署無し(国務大臣が責任を負わない)となった。教育勅語は立憲君主制の原則との衝突を回避しながら、政治的国家としての明治国家の背後に道徳共同体としての明治国家を現出させたのである。

●国体と政体の相克(多数者の論理と少数者の論理)

立憲君主としての天皇と道徳の立法者としての天皇との立場の矛盾、すなわち「政体」と「国体」との相克は、日本の近代の恒常的不安定要因であった。一般国民に対して圧倒的影響力をもったのは憲法ではなく教育勅語であった。「国体」観念は憲法ではなく、勅語によって培養された。勅語は日本の近代における一般国民の公共的価値体系を表現している「市民宗教」の要約であった。

明治憲法は自由主義的側面を有していた。そうした近代立憲主義的要素(言論の自由、司法権の独立、衆議院の公選制、私有財産権の保証等)は立憲主義にイデオロギー的根拠を与えたが、憲法は大学教育ではじめて学ぶものであった。当時の大学進学率の低さから、日本の近代においては、「教育勅語」は多数者の論理、憲法は少数者の論理であったのである。

敗戦により、「国体」観念は支柱を失った。天皇は「日本国の象徴」「国民統合の象徴」としての新しい役割を与えられた。

◆本書を読んで考えたこと

● 日本の「近代」が持つ機能主義的思考様式の功罪

本書では、「日本近代」がもつ機能主義的思考様式に注目する。すなわち、日本は近代化にあたりヨーロッパを範としたものの、ヨーロッパをそのまま導入するわけにはいかないので、制度や科学技術という「機能」を導入しようとした。そのためには、機能主義的思考様式の確立が必要とされ、福沢諭吉に始まる機能主義的思考の系譜が生まれて(*注1)日本の近代化を推進していったと考える。そして、こうした「機能主義的で実用主義的」態度を日本の「近代」の特徴とするのである。

しかし、「機能主義的思考」への批判も存在したことを紹介する。例えば、永井荷風はヨーロッパの「前近代」的側面(歴史的側面=宗教、社会慣習等)を指摘して、日本の「近代」との誤差に「疑問を投げかけた」とする。機能主義だけではヨーロッパの「近代」がもつ非合理的側面を見落とし、それによって「近代」を十分理解しないまま消化不良を起こすことを懸念しているのである。

著者は、歴史的存在としての日本は、「前近代(非合理性)」を継承しており、合理的思考様式の導入によって形成された日本近代は、ヨーロッパが生み出した「近代」とは同じではないはずだと考える。そして、その日本固有の「非合理性」の最たるものが、近代天皇制だとするのである。

前述の「近代天皇制の誕生」に見たように、伊藤は明治国家の設計にあたって、導入した諸機能を統合する「国家の基軸」の必要性に気がついており、ヨーロッパにおける基軸としての宗教=キリスト教の代替物として、天皇を「国家の基軸」に置いたとするのである。

本書において、「政党政治」と「資本主義」に表れた日本の近代を貫く合理主義的思考を肯定的に評価してきた著者は、天皇制に近代日本が持つ非合理性を見いだす。そしてその非合理性は、機能主義的思考という合理主義の忠実な追求の中から、生み出されたものであると逆説的に解釈するのである。

このように近代天皇制は必要性に迫られて作られた一つのフィクションである。制度設計者たる維新世代はそれを理解して明治国家というシステムを機能させていた。しかし、フィクションをフィクションとして認識していた維新世代指導者の世代交代により、システムは漂流をはじめる。それを破局へと導く軍部の台頭を招いたのは、権力分立の仕組みとされた「統帥権の独立」であった。

「統帥権」というのは、軍隊の作戦用兵を決定する最高指揮権のことをいう。明治憲法では統帥権は天皇大権の一つとされ、政府や国会は介入できなかった。軍政(動員、編成)は陸軍大臣と海軍大臣が、軍令(軍事作戦)は参謀総長あるいは軍令部総長が大元帥である天皇に帷幄上奏(いあくじょうそう=天皇に意見を申し上げること)して裁可を得たうえで奉勅命令が出される形式であるが、実質上は政府や国会が介入できない軍部の「聖域」となり、その暴走を許す原因となったのである。(*注2)

明治国家の権力分立の思想は、幕府的存在の再現を恐れたためとされるが、その権力分立のための「統帥権の独立」が、軍部の幕府化(*注3)を招いたのである。日本の「近代」を推進した機能主義的思考様式と生真面目さが行き着いた先は、国家の破綻(はたん)であったことを思えば、日本の「近代」が持つ悲劇と言わざるをえない。

さらに、そうした日本人の特質は現代に継承され、世界に誇る「豊かな社会」を実現する原動力となるとともに、その過度の管理主義的側面がそこに生きる人間を苦しめる原因にもなっているのではないだろうか。

● 教育勅語がもつ意味

大阪の学校法人森友学園が、幼稚園児に教育勅語を唱和させている様子をテレビのニュースで見て驚いた。今どき教育勅語というのは時代錯誤としてテレビの笑い話で終わるのかと思っていたら、安倍内閣は教育勅語に関し「『憲法や教育基本法等に反しない形で教材として用いることまでは否定されることではない』との答弁書を閣議決定した(朝日新聞2017年4月1日付)」というではないか。さすがに、日本経済新聞でさえ社説(17年4月9日付)で「教育勅語は道徳教材に使えぬ」と書いた。

本書において、教育勅語の成り立ちと政治的背景が解説されている(前述の「教育勅語の意味」を参照)。それを要約すれば、①教育勅語の起点は明治天皇が侍講元田永孚(もとだ・ながざね)に命じて起草させた国民教育の方針である「教学聖旨」にあること②内容は「仁義礼智信」にみられる儒教道徳であること③立憲主義に基づく天皇の政治的命令ではなく天皇の著作と位置づけたこと――である。こうして成立した教育勅語は、「立憲君主制の原則によって拘束されない絶対的規範」としての位置づけを持ち、内容は国民に馴染みが深い儒教道徳であったために、定着したのである。このように教育勅語は、明治憲法にある立憲君主としての天皇とは別の、神聖不可侵で道徳の立法者としての天皇を支える大きな柱だったのである。

こうした教育勅語の成り立ちと意味合いを考えれば、安倍内閣の閣議決定に違和感を覚える。もし道徳教育が必要だというのであれば、道徳としての教育勅語は儒教道徳を基盤としており、儒教の復活を主張すれば良いということになる。そうではないとしたら、教育勅語が担っていた「国体」思想への郷愁が背景にあるのではという懐疑が頭をよぎる。こうした胡散臭さが憲法改正の議論においても見え隠れするので、一歩腰が引けてしまうのである。教育勅語は「近代天皇制」の道徳的側面を担ったものであり、敗戦によりその使命を終えたのである。戦後の「象徴天皇制」のもとでは不要な存在であることを明確にしておきたい。

<参考図書>
『日本の近代とは何であったか———問題史的考察』(三谷太一郎著、岩波文庫、2017年)

(*注1)本書では機能主義的思考の系譜として、明治期の福沢諭吉、田口卯吉(文筆家、実業家)、大正期の長谷川如是閑(ジャーナリスト)、昭和期の石橋湛山(政治家)、笠信太郎(ジャーナリスト)らをあげている。

(*注2)統帥権に関しての伊藤と軍部との争いは、本書の他に『伊藤博文―知の政治家』(瀧井一博著、中公新書、2010年)に詳しい。また、統帥権の一般的知識は、『いっきに学び直す日本史 近代・現代実用編』(安藤達朗著、東洋経済新報社、2016年)が参考になった。同書は、本の帯に佐藤優氏(元外交官、評論家)が「最高の基本書」と推薦文を書いているように、日本の近現代史を通史として理解するための優れた参考書だと思う。

(*注3)本書では、東条英機内閣(1941〜44)は、実際「東條幕府」と批判的に呼ばれたことを紹介している。

(*注4)元田永孚(1818〜91)は、肥後藩出身の儒学者。明治天皇の侍講を務めた。なお、本書では、元田が起草した「教学聖旨」に対し、伊藤博文ら政府の官僚勢力は、文明開化路線に反する「旧時の陋習(ろうしゅう)」として反対するなど、宮中と府中のイデオロギー対立があったが、最終的に統治の安定を重視した政府が道徳教育の必要性を認め、起草作業が始められたとしている。

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