タイ在住20年とバンコクの変遷(中) 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第120回 | ニュース屋台村

タイ在住20年とバンコクの変遷(中)
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第120回

6月 01日 2018年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住20年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

私が東海銀行バンコク支店長として転出したのは44歳の時であった。当時、都市銀行のバンコク支店長の年齢は50歳くらいであり、私はかなり若い支店長であった。東海銀行内で「再建屋」として仕事をしてきた私は、バンコクに着任する前年に起きたアジア通貨危機への対応のために、若輩ながら送り込まれたのである。

◆アパート選び

子供たちは当時、高校1年から小学5年までの3人。まずは単身でタイに乗り込み、家族を呼び寄せる算段をした。赴任してすぐ始めたのが、家族5人で住むアパート選び である。

ところが、このアパート選びが予想以上に難航したのである。言葉や生活習慣の異なる海外生活の中で、家族がゆっくり過ごせる住居は大変重要である。しかし当時、バンコクで日本人が多く住む地域(日本人学校のスクールバスがカバーされる地域)で4部屋の寝室(4ベッドルーム)を持つ物件は極めて少なかった。それ以上に難しかったのが、まともなキッチンがある物件である。せっかく4ベッドルームの物件を探し当てても、キッチンが屋外のベランダにあるのが大半だった。たとえ屋内にあったとしても、家の片隅に追いやられている。米国勤務の際に住居選びをした折、妻がもっともこだわったのがキッチンであったことを思い出し、必死になって物件探しをした。

30軒以上のアパートを見て回り、妻がなんとか承諾してくれそうな物件を三つほど目星をつけた。そのアパートの室内などを8ミリカメラで撮影して妻の元に送り、そのうちの1軒に決めた。キッチン最優先で決めたため、少しぜいたくなアパートになってしまった。会社の住宅補助では賄い切れず個人負担が発生したが、まずは家族に喜んでもらえることを一番に考えた。あとで妻から聞いた話であるが、私がタイに出発してからも「教育のために子供たちと共に日本に残ることも考えていた」という。ところが、私から送られてきたアパートのビデオを見て、子供たちと共にタイに来ることを決断したという。必死になってアパート探しに奔走(ほんそう)した私の努力も無駄ではなかったのである。

ところが、これには後日談がある。子供と共にタイに到着した妻は、居間に隣接した小ぎれいなキッチンのあるアパートに満足したが、いざ使う段になって問題が発覚した。キッチンだけにエアコンが付いていないのである。当時のバンコクの女性は、自宅で料理を作らなかった。タイに来られた方ならよくお分かりのように、タイの女性は職場でもよく働く。「怠け者」だとよく揶揄(やゆ)されるタイ人男性に比べて、タイ人女性の仕事に対する意識は高い。

◆食の好み

バンコック銀行は現在、1190の支店があるが、その7割以上の支店の支店長は女性である。共働きの多いタイの家庭では、夕食は家族そろって屋台などで食べるのが一般的であった。一方、上流階級の家ではメイドが料理を作る。しかし使用人であるメイドのためにきれいなキッチンを準備する必要はない。このため高級アパートのキッチンは、ベランダなどの屋外に追いやられていたのである。当時、オフィスにいるタイ人女性に作れる料理を聞いても、せいぜいチャーハンか玉子焼きであった。今の若いタイ人女性は料理を作るのが当たり前になってきているようである。少子化の下で核家族化が進行しており、自分の夫や子供に自ら料理を作ることは主婦の喜びとなっている。バンコクに日本の料理学校が出来て数年たつが、若い女性たちに人気のようである。

タイ人の食に対する好みもだいぶ変わってきた。20年前は、タイ人は牛肉を全くと言ってよいほど食べなかった。タイの国教である上座部仏教において「釈迦(しゃか)の父親が牛であった」という迷信がある。実際は釈迦の家族の出身が「牛族」という部族であったようである。この迷信とともに「牛は農村における重要な働き手であり大切なものである」という理由で牛肉を食さない人が多かった。

牛丼の吉野家は当初1995年にバンコクに進出してきたが、タイ人の牛肉を食べない風習に勝てず、98年初めに撤退。その後、2011年にタイに再進出を果たしたが、この10年あまりでタイ人の中に牛肉を食べる文化がしっかりと根づいたのである。今や焼き肉はタイ人の大好物になっており、東京都新宿区西新宿にある焼き肉屋「六歌仙(ろっかせん)」は、タイ人が日本観光する際の「メッカ」となっている。

牛肉とともにタイ人が最近急速に食べるようになったものに刺身がある。元々日本びいきのタイ人は昔から「日本食は大好き」と言っていたが、実際に生の魚を食べる人は少なかった。当然であろう。20年前、タイでは電気冷蔵庫は貴重品であり、バンコク中心街でも氷屋が氷を売り歩いていた。当然冷蔵の配送などないため、灼熱(しゃくねつ)の太陽の下で鮮魚がレストランに運ばれていく。

食中毒も頻繁に起こっていた。タイで刺身を食べるのはリスクがあることだった。ところが現在は、タイ国内にしっかりとした冷蔵配送システムが確立されている。高級鮮魚については毎日、東京・築地から航空便で送られてくる。日本と同品質の刺身がタイで食べられる。日本の高級すし店がバンコクで多く支店を出している。刺身やすしがタイで一般的になったのもうなずける。

日本食だけではない。フランス料理やイタリア料理も一般的になった。階級社会のタイでは元々、上流階級の人たちが好んで高級ワイン片手に高級西洋料理を食べていた。20年前にもおいしいレストランは数軒あった。しかしこうしたお店にタイ人の同僚や部下を連れてくると極めて不評であった。私の職場の部下たちはタイの一流大学を出た人たちである。「味がない」とか「チーズ臭い」とか言うのである。挙げ句の果てにせっかく出来あがってきた豪華な料理に大量のチリソースをかける。これでは料理を作ってくれた人に申し訳ない。

ところが現在はこう言っていた人たちも、フランス料理やイタリア料理に抵抗はない。バンコック銀行日系企業部や現在、私が担当しているリテール部門では毎年クリスマスパーティーを行う。このパーティーではイタリアレストランを借り切ってやることもあるが、ビュッフェスタイルの料理はあっという間になくなっていく。時代の移り変わりとともにタイ人の食の好みも変わっていくのである。

◆コーヒー

食べ物ついでにもう一つ。タイ人の間で大はやりのものにスターバックスのコーヒーがある。タイには現在、300以上の店舗を有している。しかし私がタイに来た20年前には、そもそも「喫茶店」なるものがなかった。ほとんどのタイ人にはコーヒーを飲む習慣がなかった。

東海銀行時代の私は毎日お客さまを訪問していた。約束した訪問時間より早く着くと、喫茶店がないためじっとエアコンが効いた自動車の中で待っていたものである。また、取引先の日系企業ではたびたびホットコーヒーが供されたが、これがとてつもなく味が濃く、甘いシロモノであった。強烈に辛いタイ料理に代表されるように、そもそもタイ人は味の濃いものを好む。暑い気候のせいか、あるいは食材を傷みにくくする生活の知恵なのか。私にはよくわからない。コーヒーだって例外ではない。薄味になれた日本人の口には合わない。ところが、いつの間にかスターバックスのお店がバンコク市内の至る所にできた。スターバックスだけではない。市内にはいまや、コーヒーワールド、オーボンパン、マクドナルドなどコーヒーを飲める所がいっぱいある。

ここで少し脱線して、スターバックスについて述べさせていただきたい。スターバックスは1971年に米シアトルで、コーヒーの焙煎(ばいせん)屋としてスタートした。これがコーヒーを飲むカフェとなったのは、87年のことである。この年、私は2度目のロサンゼルス勤務で米国に赴任した。米国では当時、コーヒーは水に代わる飲み物であり、各会社の職場では無料でコーヒーが提供されていた。アメリカ人にはわざわざ金を出してコーヒーだけ飲む習慣がなかった。日本では喫茶店で同僚と打ち合わせをしていた私は、米国に喫茶店がないことに不便を感じ、時々デニーズを利用した。しかし、ほとんどお湯に色を付けたような米国デニーズのコーヒーには「嗜好(しこう)品」としての喜びなど感じられなかった。数年後にロサンゼルス郊外のパサディナでスターバックスの看板を見つけ、「米国にもようやくカフェが出来た」と思ったことを覚えている。米国でもカフェの歴史はそれほど古くない。タイでもコーヒーを飲む文化が出来たのはごく最近なのである。

◆アルコール

今回の最後の話題として、タイのアルコールについて触れなければならない。タイの国教である「上座部仏教」ではアルコールを飲むことは罪悪である。僧侶は当然のことながら、在家信者が守らなければいけない「五戒」や「十戒」という戒律でアルコールを飲むことは禁じられている。人を殺すことと同列の罪である。

20年前、タイでアルコールを飲む女性のほとんどは夜の商売をしている人にほぼ限られていた。少し話が飛ぶが、日本航空では20年以上前から効率化の観点からタイ人の客室乗務員を活用している。日本~タイの路線だけでなく、日本~ハワイ、日本~カナダの路線にもタイ人客室乗務員が勤務している。これらの乗務員はタイの一流大学の出身で、4カ月の研修コースを経て勤務につく。私は日本航空バンコク支店長の誘いを受けてその研修コースを見学したことがある。たった4カ月で日本語と業務を会得してしまうタイ人女性の能力にびっくりした。

研修の教官の方に「新入社員研修の中で、何が一番難しい研修課題ですか?」と質問したところ、「タイ人女性はお酒を飲まないので、お客様からお酒についての質問を受けたりカクテルを作ったりすることが最も難しいです」との返事だった。確かに私も飛行機の中で「赤ワインの味の違い」などを客室乗務員に尋ねたりすることがある。また、カンパリソーダを注文したところ、カンパリが多すぎて閉口した経験もある。自分が飲んだことがなければカクテルの作り方が分からないのもうなずける。

こうしたことも「遠い過去の思い出」となってしまったようである。最近バンコク・スクンビット通りのプロンポン駅にある「エムクォーティエ」というショッピングビルの5階に大きなスカイラウンジバーができた。私が住んでいるアパートの目の先にあるので、週末に時々出かける。

年を取って夜遊びができなくなった私たち夫婦は、まだ空の明るい夕方6時ごろに繰り出すが、最近は予約で満席状態。黒人DJが英語で曲を紹介しながら大音量の音楽が流れる。西洋人のお客も多いが、タイ人女性がファッショナブルな洋服で着飾って、女子会をやっている。テーブル席が既に予約でいっぱいだったため、私たちはオープンバーのカウンター席に座ったが、隣には若くて美しいタイ女性が1人。ワインとシーザーサラダを注文してゆっくりと時間を楽しんでいる。「タイ人の女性も変わったものだ」と、隣にいた妻に、タイ人に分からないように日本語で話した。(以下、次号に続く)

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第119回 タイ在住20年とバンコクの変遷(上)(2018年5月18日)
http://www.newsyataimura.com/?p=7409#more-7409

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