п»ї 混乱の現実から開発の目を考える『ジャーナリスティックなやさしい未来』第51回 | ニュース屋台村

混乱の現実から開発の目を考える
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第51回

6月 05日 2015年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

コミュニケーション基礎研究会代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆開発コミュニケーション

「開発コミュニケーション」で知られるダニエル・ラーナーのコミュニケーションの体系立て方を知る「コミュニケーション体系と社会体系」は、1960年代の米国の他国に対する「開発」に関する基本的な考え方であり、その行動原理を知る論考である。それはやはり、米国が中南米やイランなどで行ってきた「自立を促す」名目での「介入」から「開発」に移行していく戦略と一致する。今回はこの論考から開発を考えてみたい。

ラーナーが論ずる「米国流の開発」には、米国の持つフロンティア精神と同居するヒューマニズムの考えが根本にあるはずではないかと、ラーナー自身の感情的な立脚点をさがしてみると、「開発」から導かれるリテラシー、そこから続くメディアへの指摘で、ラーナーは「自分自身や自分の家族のための『よりよい選択肢』を想像し、望む可能性を彼らに与えること」 がメディアの役割だと明言していた。

私はこの言葉で多少安心はしたものの、やはり米国の「開発」の歴史を見れば、それが欺瞞(ぎまん)である事実は変わらない。

◆尊敬と反発

近代の米国流「開発」の数々は、最終的に反発を受け、今も開発された各国で、米国への「尊敬」と「反発」が相半ばする現状がそれを物語っている。世界で最も成功した例の日本でも米国への潜在的・顕在的な反発は少なくない。今も沖縄の基地問題は未解決のままだ。

最近ではアフガニスタンやイラクの混迷が深刻であり、ラーナーの研究対象となったシリアやヨルダンは中東の混乱の中心地となっている。9・11米中枢同時多発テロを受けて、米国は当時タリバン政権が支配していたアフガニスタンに「侵攻」し、反タリバンの北部同盟とともに政権を崩壊させ、新たな政権を樹立する際に、タリバンによって奪われた教育の機会を再生することが優先課題に揚げられたことは、メディアで広く紹介された。日本でも協力への同意に向けた喧伝(けんでん)の効果もあり、当然のことと受け止められてはいるが、それがアフガニスタン内の憎悪を招くことになるからには、どこか手順が間違っているのだろう。

◆正しいリテラシーとは

ラーナーの「変化の方向は口頭システムから媒介(メディア)システムに向かう」「コミュニケーション行動変化の程度は社会体系における他の行動の変化と意味ある相関をもつ」の方向性は間違っていない。つまり社会の発達はメディアの発達であり、それは情報インフラの普及を伴い、民衆が情報を手に入れる行動をしやすくなるのである。

だから、情報科学の発達により「アラブの春」現象はリテラシーが向上したことによる民衆蜂起と整理できるのであるが、声をあげた民衆すべてが「正しいリテラシー」を持つ人々なのか、民衆を先導するグループがリテラシーを持ち、追随する民衆は、その上位に対して下位のリテラシーを持つ者なのか、そして国のガバナンスにおいてリテラシーとの関係で何が正しいのか、多くの課題を残したままである。

「リテラシーは成長過程の独立変数となり、新しい近代化の局面が開かれる」ことを予想したラーナーだが、予想以上の情報技術の発展という変数で「コミュニケーション市場の所在地は『都市のみ』」は、もはや正しくはない。結論部分にあたる「代議制による支配が最も発展した表現」は有効なのだろうか。未開発地域への「開発至上主義」は経済優先の思想と実益をもたらすうまみによって、開発する方もされる方も魅力的に感じている国もいまだに多い。その論拠に今回の論文が使われるのならば、やはり現実を指摘しながら、改善を示していくことも必要であろう。

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